愛歯道

歯医者を変えた。

今のご時世、すなおに飲み込めないような嫌な、きなくさいことも多い時代だけれど、一方では次の時代に花開かせたい素敵な変化の兆しのようなものも増えてきた。

薬を出すのが嫌で嫌で、薬を使わないで病気が治せないかを一生懸命試行錯誤して「あいうべ体操」を作っちゃった今井一彰先生みたいな人が出てくるのもそう。

それが一部のマニアだけが知っている状態ではなくって、学校教育に入り込んでインフルエンザ激減につながって、それをNHKが朝の番組で取り上げる。(2月25日NHK朝いちで放映)うん、いい兆しだ。

これも一般的にはまだまだ知られていないことだと判断して書くが、歯医者さんも素晴らしい方が出てきている。

抜きたくない、削りたくない、金属なんか埋めたくない、という歯医者さんである。

「治療してなんぼ」ではなく「治療しないでなんぼ」という歯科医である。

削ったり埋めたりの治療で稼ぐのではなく、一生歯を残すことにシフトして、それで歯科医業を成り立たせようとしている歯科医である。かみ合わせから全身の関連で、整体師よりもよほど身体に精通している革新的な歯科医の方がいる。



というので、私も「地元で近くで上手だと評判がいいけれども、ふつうに削ったり抜いたりの治療する歯科医」さんを続けるか考えた。


そして偶然ネットで見つけた「まったく遠くて不便だけど、どうもあまり治療しないで歯を残す方向で進んでいるような歯医者さんに」セカンドオピニオンをいただきに行った。結果として、そちらの歯医者さんに通うことになった。

自宅から二時間かかる。(通勤の途中ルートから行けるので、実際には通勤ルート+35分でいけるけど)


何がその不便で遠い歯科に通う決心をつけさせたのか?

一言でいえばドクターの覚悟である。

「ちゃんと自分で磨くのが前提だけれども、それがあれば相当長期間今残っている歯は残せる」という歯科医側の覚悟である。

別の患者さんに伝えていた
「少々の虫歯があっても、ちゃんと磨いて(歯医者できちんとケアを続けている状態なら)おれば、そうそう悪くなるものじゃない、痛くなるもんじゃない」

というような内容の言葉。なんかわからないがするっと腑に落ちた。

「歯を磨こう」と思った。お勧めのはぶらしと研磨剤の入っていない歯磨きを買い求め、以後は90%ぐらいの頻度で一日10分以上丁寧に歯磨きをするようになった。ひと月半その状態が続いている。

ちゃんと磨いていると、歯医者さんにちゃんと磨けているかどうかを判定してもらうのも気持ちいいものである。

なぜ続いたのかを考えてみた。

根底に「今ある歯だけではもたないから、入れ歯にしますか、インプラントにしますか」という歯医者さんと「今ある歯を持たせましょう。そのかわりあなた自身でちゃんと一定レベル以上の歯磨きをしなければ、残すことはできませんで」の違いがある。

せっかくなら死ぬまで?今の歯を残せる方がいい。残すべしと決意されているのは藤井先生の方である。ちゃんと磨いておれば、おりおりに早めに必要な歯の延命処置を施していただけるだろう。


逆に言えば、ちゃんと磨かないで、どんどん虫歯や歯槽膿漏を進行させていくような口の中の状況を続けるなら、この遠い歯医者さんに通う意味はほとんどない。和歌山市内のすぐにいける下手ではないといわれている歯医者で十分である。

自主稽古をたっぷりやりながら、一か月か二か月に一回、師範のところに技を見ていただきにあがるようなものである。そこで新たなことを少し教わり、技を手直ししていただき、また次回まで励む。

進化体操やとろける整体の講習のあり方として、もっとも望ましいと思っていることを歯医者で経験するとは思わなかった。



そうか、俺は「歯道」「歯磨き道」の師範のところに弟子入りしたのか。

しかし「歯を残す」というところに立ち位置があるか「歯を治療する」というところに立ち位置が歯科医の方にあるかどうかで、自らの対歯科医に対する反応、生活習慣の改善がこれほど変わるのかというのに驚いた。

もう一つ、整体を施術し、進化体操を講習するわが身を振り返って大変参考になったのが「歯石を取ってもらう」体験であった。


毎日10分以上歯磨きをして迎えた二回目。歯磨き道師範(藤井先生)の判定は

「そこそこよく磨けておる。歯茎に引き締まりが見られ、結果として歯の根元の隠れていた歯石が顔をだしているから、今日それを除去してよろしい」(実際はこういう言い方はされないが、精神的にはこのように受け止めているのである)というものであった。


歯石の除去は歯科衛生士さんのお仕事。

まずは歯ブラシで歯を磨いてもらう。同じ歯ブラシなのに自分で磨く感触とはまったく違う。あたりが違う。いかにも歯がきれいになりそうである。実際に自分で15分磨いたときよりつるつるになった。

そこではたと気が付いた。藤井先生が総師範であれば、歯科衛生士さんは高段者の先輩か指導員である。これは先輩高段者に技をかけていただいている時間であったのだ。

高段者に技を掛けさせるから、心平らかにその技の受けを取り、歯磨き技の感触をつかみ取れ、という稽古であったのだ。


続いて歯石除去。機械でやるあれである。

結論から申し上げると、あれほど長時間丁寧に歯石を取っていただいた経験は過去になかった(筆者の狭い体験では)。

まったく痛くなかったのも初めてだった。
まったく出血しなかったのも初めてだった。




施術後にそのことを藤井総師範に申し上げると

「それは違うぞ。痛みがなく、出血がないのは、君が歯磨きによって歯茎の状態を自ら改善したからなのじゃ。これからもゆめ怠ることなく、歯磨き道に励むのじゃ」とのお答えであった。(くりかえすが、実際の藤井先生はこんな話し方はされません。私の心の奥底に響いた声を翻訳して書いております。)


しかしである。不肖の弟子、新参者にもかかわらずあえてここは総師範に一言申し上げたい。もしかしたら先生以下スタッフ一同お気づきではないかもしれないからだ。


この稿でくりかえし「治療しよう」というスタンスと「歯を一本でも多く長く残そう」というスタートラインの違いが全然違う未来につながるという意味のことを書いてきた。

見方を変えれば自分のことである。整体や体操指導を「病気を治すもの」ととらえるのか、「丈夫で活発で楽しい状態を一年でも長く維持させるもの」ととらえるかで技法も指導内容も全然変わるとことである。



押圧ほぼゼロでコリを解消する「とろける整体」は、単独のコリと対抗しないことによって生まれた。身体内奥の弾力に満ちた大半の部分と共鳴を起こすことによって、かき氷に蜜をかけるぐらい簡単に緊張が溶解したりする。(時々ガンコにとろけない人もあるが、これも舌の位置の修正でかなり改善することが分かった)

整体を学び始めたころから非常に長い期間、硬い部分をゆるめようとする見方が変わらなかった。

結果としてコリに指を当てるけれども、押しつぶそうとしないことで、やわらかいところにコリが飲み込まれるように消えていくのが可能になった。




過去の歯科衛生士さんは、歯石を敵として歯石と対抗していたのではないか。こちらの歯科衛生士さんは、歯石を取っているのだけれど、それはそのまま「歯の長生きのために」というのが密接不可分になっているのではないか。

歯石を見て削り取ろうとする意識だけの場合と、歯を残そうと思いつつ、歯石を減らしていこうというところに、微妙にタッチの差が生まれるのではないか。歯石を見て歯石を取る。歯を感じながら歯石を見て歯石を取るの違いである。

そういう部分が無意識にも技術の何かをちょっと変えているのではないか。結果的に長時間丁寧で痛くないにつながってはいないか。

コリだけを見ると整体は荒くなる。そこからの想像である。

歯の治療に行くのではなくて、歯磨き道・歯残し道に「入門した」という日本伝統芸能武道等の講習メカニズムにいつしかはまりこんでいたということに気付いたと書いた。

歯磨き道・歯残し道とは別のネーミングが浮上してきた。

合気道」ならぬ「愛歯道」である。

そうか、俺は愛歯道藤井道場に入門したのか。

最近体操教室の途中にはさみ、習慣化を奨励している「あいうべ体操」も、実は丁寧な歯磨きとセットで、よりその目的にかなうという一面を持っている。

そのあたりも近いうちに書こうと思っている。


http://ameblo.jp/sinkataisou/
からだの整え方いろいろ、無料メルマガ配信中
上記ブログ記事から登録できます