323話 コメントに、うわっと 3

さて津田は、マスコミの何が嫌いかというと、「公平・公正のようで実はそうではない」という部分が嫌いなようである。もちろん、公平・公正・良心的な報道マンも多々おられると思う。良質の番組もやまほどあると思う。しかし、私の価値基準の中では、その軸のぶれている気配に対してはかなり厳しい。しかし私は、そういうメディアの方々が、我々はこういうふうに偏っております、ということを宣言されていたら、おそらく腹は立たない。

そういう自己のスタンスからこのブログを眺めなおし、筋を通すなら、今回の一連の連載でも「過剰なマスコミアレルギーを持つ筆者が書くプロジェクトX論」と銘打つべきであった。

私の言うことを一から十まで間違っても信じちゃいけないと、と宣言するべきであった。これもまた、今私が「ブログ道の師匠」として勝手にあおぐ内田樹先生が、今年に入ってからのブログの中で鋭く指摘されていたことであった。(すいません、こういう時にブログ道としては『トラックバック』とかを使ったり、また何月何日のブログなのかを明記するべきであろうが、いつだったかわすれちゃったので明記できない。まことに使い勝手の悪いブログで申し訳ない。私は文章は打てるが、それ以上のことを学習することになかなか適応しない『IT縄文人』である。)



さらにもうひとつ。私に「横柄ディレクターを押しつけた?」俊さんである。ここも記述不足である。読み方を変えれば「なぜ津田はそんな横柄ディレクターを押しつけてきた俊さんに腹が立たないのだろうか」という疑問を持つ読者も生まれてきてもおかしくない。

しかし、まったく腹は立たなかった。今ここに書くまで思ってもみなかった。

それは、そのドルフィンプロジェクトの場に居合わせなかった方々には理解していただくのは難しいことである。俊さんは、まったくもって不思議な人だったのだ。40歳代だったと思われるが、そこに「老賢者」がいた、というような空気の方だったのである。駆けつけたボランティアたちが、非日常の極である被災地の現場で、「ある種のハイテンション」に舞い上がっている中、彼の周りだけは別次元の空気が流れていたのである。しかし、彼は確かにその数百人がごったがえす現場のリーダーであった。

おだやか〜に座る俊さんの前に、イルカ飼育係のリーダー「まっちゃん」が、きっちりと正座をして、真剣に報告をし、相談をし、指示をあおいでいた情景が今も浮かぶ。

ある種浮き世離れし、現実離れした存在だったのである。まったく別の価値観か次元で生きている方のようなのであった。

だから、今考えると、俊さんから電話が振られたという際には、横柄ディレクターとは、まったく話がかみ合わないままに、こちらに話が振られた、と感じたのでああろう。私の場合はテレビの取材ということにいちいち過剰に反応している。おそらく俊さんの場合は、まったく反応しなかっただろうと直感する。誰が考えたって、ドルフィンプロジェクトを取り上げるなら俊さんをはずせない。これは関係者一同がうなづくであろう。しかし、俊さんにとっては、そういうことはまったくどうでもいいことだったと思われる。

俊さんにNHKからの電話があった際に、ほとんど会話が成立する以前に、ふわりと身をかわされてこちらに振られたように感じる。

俊さんはそんなことまで、いちいち考えていなかっただろうけれども、それに近いところを言葉で表現するなら「まあ津田さんの方へふっておいて、流れていく中で、適当な人がそこに収まればそれでよし、そうならなくても別によし」とでもいうような状況であったと推理する。

理屈をつければそうだけど、とにかく俊さんにはまったく腹が立たなかった、立てようがないような人物だった、ということです。

なんか長々と書いたけど、結局「振られた人のことをきれいさっぱり(その時点では)気にかけなかった未熟者め、ということを確認しただけの中身だった? 

みなさん、長々お読みいただいてありがとうございました。