893話 精進の日々
柔道で、日本がなかなか勝てない。
日本人が見れば「誤審」と思えなくもない試合も確かにあった。審判のレベルというものも確かにあるのかもしれないけれど、それだけだろうか。
スパーンと投げたら一本で、そこまでいかなきゃ技あり。技としてはまあ認めてやるけど、それであんたが圧倒的に勝ったと認めるには足らないから、ちょっと減点しますというのが技あり。技としても満足行くわけではないけど、まあ「倒す」という効果がないとは良いけれないので「効果」、ゼロとは言えないから「有効」。
と、判定基準というのは、上記のような感触でまあ何となく分かった気がする。(上記定義は筆者の創作です)
技(過程)と、結果がそろって評価しましょう、という仕組みのように思える。
外国人の審判にとって、この「スパーン」の過程の部分がわかりにくいんではないかと思われる。
あるいは、途中はスパーンといってますけど、最終的にはあおむけになっちゃってますやんか、というのが「譲れない判定基準」として、頭の中に鎮座してしまっているのかもしれない。
結果的に最後にひっくり返ったのは、日本の方でっせ、ということかもしれない。
「まっとうな商人(あきんど)の道を歩んで、決して私利私欲だけで商いをやったらあきまへん。そのことで、結果的にお店が繁盛するんだす」という方が「ようするに儲けたら良いんでしょ」よりも、筆者は好きです。
昨日は、合宿。マットや毛布など、必用なものを山のように持って帰らないと行けないので車で道場往復。今日は合宿のため車で生駒へ。
あさちゃんやマイちんとカラオケに行って覚え、歌って楽しく、踊って楽しい。
ただし「イェイ!」とか「もう一回!」とか「ウー イェイ ウー」のタイミングがことごとく外れるのが楽しくない。
往復の道中、片道2時間、エンドレスで聴き、歌う。3分40秒ほどの歌なので一時間で25回歌えるので、往復4時間でざっと100回聴いたことになる。それを二日続けるとおよそ200回は聴いた筆者であった。
おそらく、歌詞をマスターすれば終わりにしやすいのであるが、それだけ聴いても中年のメモリーには歌詞が書き込まれず、大脳の記憶ハードディスクに刻まれない。
「イェイ!」「もう一回!」「ウー イェイ ウー」は完璧になったが、「笑顔咲ク君と」つながりたいのか、抱き合いたいのか混同するし、「もし」の仮定形の後は「あの向こうに」だったか「遠い未来」だったかも混線する。
心おきなくカラオケで舞い踊るためには、歌詞のマスターは必須である。筆者はカラオケルームの大画面を向いて歌いたいのではなく、大塚愛の映像をバックに歌いたいのである。
聴覚のみに頼って覚えるよりも、実際に歌った方が記憶には残りやすかろうと歌う。そこで地声で歌い、裏声で歌い、演歌風に歌い、千春風に歌い、黒人風に歌い、サザン風に歌う
いい加減歌い方のバリエーションが枯渇したので、バックコーラスをやる。ハモる。そして恐るべき事実を解明した。(続きは後日)