1340話 見る目

「360度」がまったくできていない、という自覚をずっと持っていたら、まったく違う角度の体のとらえ方と行き当たった。


びっくり。でも今日はこれは書かない。




水中生物、魚、両生類・は虫類、鳥類、四つ足獣、猿、という進化のご先祖様の体には、つねに尻尾がある。


人類には尾骨という「尻尾の痕跡がある」という程度の認識が一般的か。


しかし、体感で尻尾をはやし、上半身の動きとバランスを取るように動かすと、体がフルに使える度合いが激増する。


と、これまた「見た目はないはずだけれども、体感すると一気に動きが良くなる尻尾感覚」を持った私の方が、私の能力が遺憾なく発揮される。


ならば、360度の私に引き続き「尻尾のある私」の方を「私」の実態に近いものとして登録しなおさなければなるまい。




人の動きを観察して、その人の動きのどの点がどういいのか、といういい点を指摘できるように訓練する。欠点はすぐに解るがどこがいいのかは、見る目が育たないと見えてこない。


今の世相の悪い点は誰だって言える。けど、どこをどう動かして行けば、打開できるのか、については誰も言及しないのも同じことだろうと思う。だって、よほど世の中や経済の流れなどの「見る目」がないと言えないだろう。


目の前にいる人が「硬そうな人やなあ」と思ってその人を見る。と、見られている人は、そういう言葉もかけられたわけでもなく(言葉の暗示ではない)、怪訝な顔を見るわけでなくとも、硬くなる。


逆に「しなやかそうな人やなあ」と思って見ると、見られる側の人はいきなり柔軟性がアップする。


だけではない。


見るこちらがわも、相手の「硬さ」を観ていると硬くなり、しなやかさを観ようとしていると柔軟になる。


どうやら、人のしなやかさの感知は、自らのしなやかさの回路を感知することが可能にしているようなのだ。


ゆえに、人の長所を積極的に感知しようとしていることは、自分の上達には必須であるようなのである。



裏返せば、人の欠点ばかり観ていると、自らの向上の可能性をどんどん狭くしていることにつながるのである。


ということで、筆者もこのブログであまり他人の悪口を書いている場合ではないということであった。


ちなみに、道場の会員の皆様には、筆者のことを「なんてすばらしい先生なんだ」と観ると上達し、「しょうもない先生やなあ」と観ると下手になるのだ、と脅かしている。