1360話 未来予想図は大盛りで
28日の試合展開について、Y田君からの報告が当日に入らなかった。
翌日メールが入る。。
夜中の2時まで、書いては消し、書いては消し、メールでは真意が伝わらないと、結局夜が明けた。(か寝たかはしらんけど)
で、「すいません、夕方お時間ありませんか?」とのメール。
で、夕方話を聞く。
おおお、そうかい、そうかい。
確かに、携帯ですらすらと書けるようなシンプルな結果ではない。
だから、ここでも書かない。(すいません)
その話の中で出てきた改善点とおぼしき点について、色々推察する。
相手に入るという展開で、意識は入っているにもかかわらず、実際の動きがそこまでいけていない、というような状況。
一つひらめく。
入り方を惜しまず、未来を先取りして、4つも5つも入っておけば、瞬間の対応の動きがより自由で多彩で速くなる、という仮説を立て、早速稽古。
おおお、なんかいけるじゃないか。
将来を見据えてどう動くか、という問題は、誰でもいつでも、つねにつきまとう。
Aにするか、Bにするか。するかしないか。辞めるか、続けるか、などなど。
しかし、上記の4つ5つ同時に氣の世界で終わらせておいて、実際の対応は瞬間の無意識ないしは身体にまかせるという方式が、きわめて有効であるという結果を見据えると、二者択一的問題対処方式というのは、みずからの能力を引き出す面において、まだまだ改善の余地があるということが推察される。
そういった「一つの目標を立てて、それに向かって着々と歩みをすすめる」という方法が、世の定番である。
それ以外のことに関しては、目標のための犠牲にする、という考え方になる。
しかし、筆者および、筆者にかかわりのある多くの方々の全体像を俯瞰してみると、実は無数の選択肢に囲まれていることが分かる。
どの方面に持てる力を注ぎ込めばいいか、というのは、実は選ぶに選べない。
そのうちのどれを選ぶか、でも選びきれないし、とずるずると結論を先延ばしにする。あるいは選択肢間の事情を斟酌しすぎて、出るところの出方が足りなくなる。遅くなる。甘くなる。
どうすればいいのか・・
なんだ、選ばなきゃいいんじゃない。
選択肢間の事情を斟酌することを止める。で、ある選択肢を徹底的にその一つの完成と言えるところまで氣をとす。イメージする。
やってみると、今までたったひとつの選択肢に、いかに自分で制限をかけていたかということが分かった。一つだけを全うさせようとすると、その選択肢の景色が激変する。
そうやって、ある選択肢がとことん全うできた状態を、全て頭の中で終わらせるのである。実際は「頭」ではなくって、身体性をともなったいわゆる「氣の世界」ということになるんだけど。
全ての選択肢に氣を通し終え、全うさせる。さらに、「今の自分では予測のつかない未来」というのも一つ設定しておく。
筆者のような凡人が計画を立てて挫折するのは、実行するやいなや「予定外」のことが起こり、予定消化ができない状況が起こると、瞬時に萎えるからである。
計画倒れにならないためには、計画を立てなければいいのである。終わらせた状態は感じ取るけれども、計画はしないのである。
予定外のことに萎えてしまわないためには、予定外のことが起こるということを予定に入れてしまえばいいのである。
これらの準備は。「よ〜く考えられた計画」を実行するための方法ではない。
実際のチャンスというのは、それが訪れている時には分からないのである。
「その時歴史が動いた」というのは400年たってからNHKが言っているのであって、その時の当事者はいつ動いたかなんて分からないのである。
あらゆる準備をすることによって、「その瞬間」に考えずに瞬時に動くこと、気がついたら終わっているような動きを自分がすることを可能にしようと言うのである。
ゆえに、未来予想図は、一枚や二枚書いたのではいけないのである。5枚、8枚、10枚と書き、そのすべてに持てるイメージ資源のすべてを投入し、完全に仕上げる。氣の世界で全うさせる。一つだけでも実現可能かどうかな?というような事柄を、5倍10倍に持ってしまうのである。
すると、「大きな一つ」を考える時よりも、「別々の単独の大きな多数のもの」として取り組む方が、次々に今までとは違った景色が目に入り、アイデアが浮かび、具体的なとり組みが始まるのである。
などなどと整理がついて、新しいとり組み方が緒について、悦に入っていたら、気がついた。
今の世の中では一つことでやるかやらないかなんて、のんびり悩んでいられる。
でもマタギが山で獲物を追う時、漁師が漁場に向かう時、一つ選択肢や、取りかかりだけのイメージで現場に望むだろうか。
考えられる限りの可能性をつぶしてから、なおかつそれ以上の例外を想定して、なおかつうまくいかない、ということはあったり前としていたのではないか。
なんだ。
でも、ということは、俺の考えもあながち間違いではあるまい。