連載35回 第二次活動 さまざまなボランティア

東日本大震災ボランティア活動記録「本職でボランティア」


連載35回目


第3章 第二次活動 さまざまなボランティア 


4月21日で、一応の第一次遠征を終えて帰宅した。目の前はGWである。通常であれば、平日の連休を使って、二泊三日の合宿や連続講座を行う時期である。しかし、そういう仕事の宣伝活動などができず、なにより企画そのものを立てる時間もないままで3月4月と活動していたために、はやい話GW中の仕事がない。


 この話のここまでにはまったく登場しなかったが、実は東北新幹線で北へ向かって仙台の次駅、古川には現在単身赴任中の兄が住んでいる。メーカー勤務の兄は、GWはすべて休みである。聞くと5月最初からめいっぱい関西に帰宅する予定だという。そこで関西に向かう兄と古川駅で待ち合わせて車を借り、GW休みを終えて帰ってくる兄に車を返して撤収というスケジュールで再度石巻入りすることになった。


 わずか10日少々いなかっただけの石巻だが、ずいぶんと違う雰囲気に驚く。とりあえずそのボランティアの数の多さだ。リラクゼーション・整体チームだけでも20名を越えている。理美容だけでも、まいちゃん、わたる君のほかに、理容師岡村さんに理容師五島さんが加わり、大工さんも増えている。同じ避難所に行かなかったメンバーは顔も名前も名前も覚えきれないぐらいなのである。


 個人ボランティアだけでこの人数なので、ここに団体・チームで参加するセラピストや美容師などが加わるとスタッフ総数30名を越えたのもこの時期である。


 さらに整体チームには「陰の軍団」までがあったらしい。


 事務局みほちゃんによると


「津田さぁん、うちのチームには入ってなくって誰がやってんのか知らないんだけど、報告だけちゃんとメールしてくるチームがあるんだよ。雄勝地区鍼灸施術70名とか、すっごい仕事してるんだぁ」


 こうなると、合計数は300名を越え、4月に冗談混じりで言っていた「炊き出しの1チームが出している食事の数ぐらいの人数が整体できるようになったらうれしいね」というのが現実になっている。(理容・美容を含む)


 私が帰った後、この時期から5月下旬までのリーダーをつとめている渡辺君・なべちゃんも実にやり手である。笑顔を絶やさず、高圧的な言動は皆無で、しかし譲れない線は断じてゆずらない。お仕事はイベントの音響屋さんで、6月からの仕事は穴をあけられないけれど、それまではなんとか活動していきます、というスタンスである。


 事務局みほちゃんは、海外に何かの勉強に行く予定だったのを7月に延ばし、さらに年末まで延期して、避難所の人たちの必要とされる限りは対応するのだ、との覚悟を決めて参加している。こういう人たちが順に現れるおかげで、活動は存続してけるのである。


 このGWも各避難所を回り、5日にはがれきに囲まれた神社を復活させてお祭りにこぎつけるプロジェクトに参加させてもらった。


 ここからは後は、時系列ではなく「本業ボランティア」という切り口をメインに、整体チーム以外の活動も目に入った範囲で記しておきたい。前書きにも書いたけれど、石巻で出会ったボランティアは、一般に知られる「泥出し作業ボランティア」以外に、おびただしい数の本業を活かしたボランティアがいた。学術的?には職能ボランティアとか技能ボランティアとかいうらしい。(私の京都の体操教室に通っている神戸大学名誉教授・社会学の岩崎先生談)


 さらには、そのボランティア活動をコーディネートしていく立場の、いわばボランティアが本業のようなボランティアもいた。NPOの職員の場合は、ほんとに本業なんだけど。


それらをあわせてとりあえず「本業ボランティア」と名付け、ここでは、私が見た「本業ボランティア」のみなさんの活動の数々と、それを目にして感じたことを書き留めておきたいと思う。


 まずは、私が宿舎として利用させていただいた、吉村さんが開拓したボランティア拠点、南境生活センターの様子を紹介する。




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