連載36回 南境生活センター
東日本大震災ボランティア活動記録「本職でボランティア」
連載36回目
南境生活センター
南境生活センターの間取りや機能を説明しよう。玄関からまっすぐ奥まで続く廊下がある。廊下の左側は、玄関側から順に二つの和室がそれぞれ「おっさん部屋」「女性部屋」と呼ばれ、一番奥は「キッチン」である。右側は舞台付き大広間になっている。
石巻が大変だということを聞いて、石巻入りした吉村さんが、絶対に拠点になる泊まれる場所が必要だということで、個人で地元の人と話をして借りたスペースである。
ということで、その初期の初期に入った四万十塾メンバーが舞台上のスペースを確保し、入り口側の角は吉村さんが長机にパソコンを並べて一角を陣取り、廊下側やや舞台よりの入り口脇には黒さんが長机と寝袋で陣地を作っている。
ちなみに、この三人の次ぐらいに駆けつけた北海道釧路川のカヌーガイド「がってん」さんは、キッチンとトイレの間の倉庫を基地にしていた。これらの古参メンバーは、誰よりも多様な任務をハードにこなした上で、日々の活動をブログで更新して活動報告をすることによって、より多くのボランティア参加を呼びかけているので、これらデスク付きスペースが必須なのである。
そして、3月〜4月中旬までは、この大広間そのものが救援物資倉庫になっていて、そのころのメンバーは、物資の段ボールと段ボールの間に、蜂の巣の蜂の子のように寝袋でぎっしり詰まって寝ていた。
おっさん部屋には、川尻さんとか江戸川区の整体師、村山先生などが休まれていた。夕方以後は整体部屋にもなり、村山先生の施術により悲鳴が聞こえていたらしい。
女性部屋はご縁がなかったので、どなたが休まれていたのか覚えていない。
上記の部屋だけでは、キッチンにもはみ出していた。ちなみにキッチンには、特に外観に清潔感が少ないメンバーが集まっていたので「どや」と呼ばれていた。
どやメンバーは、主に八ヶ岳ピースワーカーズのみなさん。岳ちゃん、あゆみさん、サンタさんなどが転がっていた。
4月中旬で、地元の方への物資配給施設としての役割は手放したので、広間がそこそこ広間として使えるようになった。
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