T川さんメールからあれこれ

15日


口から生まれた琵琶湖清掃の必掃仕掛け人、T川さんからメールあり。「淡路島の地震被害で、支援物資が必要な状況であればすぐに送れる用意あり、情報求む」との東京の団体からの要請があったのだそうだ。


関係各方面へ電話。結論としては、支援物資の必要な大規模な被害ではなさそうだ、という結論に至る(もちろん一戸一戸の家庭別に見れば、大変な被害の方はもちろんおられるだろうけど)


で、そのあれこれの電話の中からのお話。


人間関係構築の魔術師、ただいま石巻のひーさんによると、金華山のお隣の「網地島」で、今年の9月、福島の子どもたちの保養キャンプに、交流のある牡鹿の子どもたちを合流させ、さらには水害支援のご縁のあった新潟や那智勝浦の市野々小学校の6年生も合流できないか、というような話を進めているとか。


いいなあ。



パワフル富士子さんから、道場にフライヤーが送られて来るそうなので、まもなく全貌があきらかになりますので、また続報いたします。


で、話は変わって、岐阜の車屋とーるくんの住まうあたりは、とっても地盤が厚くて固いらしくて、その恵那地方に、ここ最近の災害時に出動したさまざまな炊き出しや泥掻きの道具類を緊急出動時グッズのストックヤードとして整備しよう計画も進行中とか。


ということで、次の出動時は、すぐに現場に行ける人は現場に行き、寄り道できる人は岐阜経由でね、というようなことになっていくという流れらしい。



情報収集の中で、H庫社協のOさんにも電話。那智勝浦に派遣されていた方。


一昨年の水害の時の、那智勝浦の「ボランティアセンター立ち上げ運営応援各方面から多数」の中で、H庫社協さんは明らかに意識も気合いも違っていた。阪神大震災の経験がそうさせているのだろうと想像した。


那智勝浦の場合、ボランティアセンターともっとも被害の大きかった地域は数キロ離れている。


H庫社協の半パンF島さんは、新規応援メンバーが団体で到着した時、すぐにボラセンには入れなかった。新規メンバーに同行して、下からずっと数キロの被災地域を徒歩で上まで見て、徒歩で降りてきてそれからボラセンに入れた。


書けば当たり前のことのように思えるだろうけど、まったく現場を見ないボランティアセンターの方々の話は、いろいろな現場に赴いた仲間から何度も聞いた。


だから、このF島さんの「まずは現場」というのは、こうやって書いておきたくなるぐらい珍しいのである。


ボラセンのブログに、「こんな切り口の情報の方が実状に則しているのと違いますやろか」と希望を述べると「いいですね、やりましょう」と即座に記事に反映させるOちゃんのような方も珍しいのである。


先日送っていただいた「石巻災害復興支援協議会 活動報告冊子」の中で、社協の阿部さんは「私も後援会などで『マニュアルの必要はありますか』と聞かれた時は『いらない』と答えています。やはり先ほどのとおり、その時々で状況がみな違うので、一口に一本化して平面図では見せられません」と語られている。


と、筆者は「まずは現場でしょ」という立場でいろいろ述べているのである。


で、いろいろな方に淡路島の状況をお聞きしたあとT川さんに電話を入れてあれこれとお話。で、口から生まれたT川さんの強い結論は


「だったら地元でしょ」


那智勝浦も、つくばの竜巻も、阿蘇の水害にも出動している口から生まれたT川さんである。口から生まれたのであるけれどもフットワークは軽い。勤務先がフットワークだからというだけではないだろう。


で、各地に赴くだけじゃダメだというのが、今回の電話で特に強調されていたことであった。自分の住まう地域だって何かが起こりうる可能性は皆無ではない。大いにある。だから、助けに行くだけじゃダメ。行って学んで地元で活かすべし!琵琶湖清掃を地元を動かして実践しているT川さんから出るこの言葉は重い。