からだの欲求と援助交際

最近話題の本「オニババ化する女たち」の中に「からだの欲求と援助交際」という一項目があります。

考えると重苦しくなるような事件が続発しています。奈良の幼女殺害も片づいていないし、その後親殺しも続いて、昨日の新聞では売春をしていた女の子と相棒?の男の子が兄貴分というか元締め?の30代の男性をスコップで殴り殺して池田の山に捨てたという事件。売春がからんでいるということで思い出したことが2〜3あります。


「オニババ」の著者の三砂さんは、ブラジルで見聞きしたことをふまえ、日本とブラジルを比較しています。ブラジルでは「子どもをせかさない」そして「小さいときから身体接触がとても密」で、それがいわば一生続く。で、日本にも縁側でひざまくらで耳あかをとってもらうとか、大きくなってもお風呂で背中を流し合うとか、肩をもんでもらうというような習慣があったのがほとんど廃れてしまっている。日本のお母さんに尋ねると、小学校に入ったあたりで、もう子どもは抱きしめなくなると言うのです。

そういう論旨の後に、しっかり触れられるということがないままに育つことで、セクシュアリティの面でも歪みを生むのではないか、という仮説から援助交際の世相を見て「誰からも抱きとめられない世代のなぐさめあいのように思えた」そうです。

セックスレスのおじさん、誰からも抱きとめられない思春期の少女。日本にはちょっと抱きしめるという習慣がない、だから「抱きしめるからには最後までいかなければいけない。そうしないなら、何もしてはいけない」というような背景があって、援助交際のような外国からみたらとんでもない異常な事態を引き起こしているというふうに思うのです、と書かれています。