第261話 あと一つ

昨日この日記を復活したら、ころっとペースが戻りました。ブログや日記をお休みする前まで、本当に働き者だったのです。気のトレーニングを始めてから、まあ「俺ってこんなに働き者だったのね」と感心していたのですが、年末からこちら、思うことや気づくことはあるのだけれど、行動がともなわない。だらだらとテレビを見てだらだらと本を読み、することはリストアップするけれど、少し片付けるとそこでストップしてしまうのです。

その間に「体癖の感受性に沿って体を整えるヨガのやり方」というものを見つけ、ヨガを人に教えるようになって18年。自分でも「この整い方というのは、極上だわい」と実感の持てる体へのアプローチへの手ごたえがあったのにもかかわらず「なんで怠け者を脱っせないんだろう」

脱出してみたら、「こういうことだったのね」という仮説は立つのですが、まだ脱出してすぐなので「それはね、こういうことだったんですよ」とは胸を張って断言はできないのですが、要するに「あと一つ」というパーツが見つかるか見つからないかで完成しなかったようですね。道場に来て下さる方の、主として体からの整えをお手伝いしているわけですが、そういう方々の「あと一つ」が見つけられるようになれば、みなさんもっともっと「自分を取り戻す感じ」がつかめるのかな?などと考えています。

岐阜の佐藤@元板前、Uターンしてふるさとで自然農法を実践してますさんからの「自然農だより特別号」が届きました。ついに自宅がほぼ完成したそうです。一昨年の夏に遊びに行った時には土台だけがありましたから、それから考えても1年半かかっています。なぜそんなにかかるのかというと、自分で作っていたからです。構想10年、着手して2年、でも本当はまだ未完成の部分もあるんですよ状態だそうです。

災害が頻発しております。以前佐藤さんの所が大水害にあいました。集落へ向かう道は土砂崩れで通れなくなり、電線も切れて停電。しばらくは電話も普通。ようやく電話が通じた知人が佐藤さんにお見舞いの電話をしました。もよりの町までも行けない陸の孤島状態を知人が見舞うと佐藤さんいわく

「町の方からこちらへ来られんだけで、こちらは何も不便はしとらんですよ。まあ電気がこない間はランプだったけど、それぐらいかなあ」

彼の家では水道は裏山から木曽のおいしい天然水が湧き放題。燃料はじいさまが冬の間に焼いた炭が使い切れないほどあり、米や野菜は自給してあるし、庭の池には川魚が飼ってある。孤立したって平気なのでした。

「百姓の家は、すなわち自給自足の家でありたい」と言う彼は、唯一地震で家屋が倒壊したらどうするんだ、という心配があったのですが(佐藤さんが心配しているわけではなくって私が勝手に思うに)、彼は家まで自給してしまったのでした。