265話 若返ろう  

しかしMさんにしてみれば「こんなもの、ふたを開けたら火花が出ているぐらい誰でも見たらわかりまんがな。何でその手間を惜しむんでっか?」というのが常識で「理科系以前でっせ」と思っているかもしれない。

私は私の土俵から、会員(の特に新しい方やはじめて)の方に「ちょっと体に対しての知識を持って体の整え方や手入れ方法を知っているだけで、もっともっと毎日が元気ではつらつと生活できるのに」などと思っている。そして、それが人にとって、とってもとっても大事なんだと決めつけている。

ところが一方で、「健康が一番」と週に何度もスポーツクラブに通い筋肉の養生に余念がない方には「体をもの扱いしている」と批判的だったりする。人間は「心」もあれば「気」もあって、「消費カロリーの計算だけで健康になったら苦労はおまへん」などと思ったりする。

その一方で心理療法などに対しては「形のないものを追い掛けるよりも、体に触れたり動かしたり、動いてもらったりことも通じて心へもアプローチするするわしらの方法の方が効果的なんとちがうんやろか」と思ったりするのである。さらに一方で気?の世界を重視し、その方向に突き進み感覚を磨きスピリチュアルな価値感を尊重する人に対しては「そんな見えないものだけ追いかけて、今ここで生きている生身のからだをおいてけぼりにしてどないしまんねん」と白目を向くのである。

まことに勝手な言い分だと思う。要するに自分が大事なのである。自分が大事にしていることが大事なのである。

こういうことを書こうと思って書き始めたのではないけれど、こうやって文章になった自分を俯瞰してみると、何と狭量で偏狭でな人間なんだろうと思う。偏らないでおこうということに偏っているのである。

ミュート大阪健康道場の「ミュート」というのは「自由人」と漢字表記する。自らの「み」自由の「ゆう」に人の「と」である。弾力のある心身を養おうというのが道場のコンセプトだ。「ずいぶんと不自由人になっていたのだ」と気づいたのが、今日の日記の収穫である。しかし、異常の自覚できるようになること、例えば潜在していた異常が痛みなどの形で表出してくるのは治癒が始まった徴候だとも言える。おかしいと思えるから是正できるのである。

まわりを否定するのは、自分の変わることを拒否しているからとも言える。筆者に告ぐ、ちょっとヨガでもやって若返りなはれ!


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