322話 コメントに、うわっと 2

さて、次に「記憶というのは、思い出しているものではなく、想起するたびに新たに作り出している」という脳論がある。ああこれだったのね、と思い当たった。

電話の時点の記憶を書いたと思ったが、実際には「その後を含めた展開とつながるように」記憶を作っていたのである。

実際の電話は、それこそ「あっ」という間に終わってしまったのである。わけのわからない間に終わってしまった、と言ってもいい。尊敬する俊さんからの紹介であったので、それなりに敬意を払い、「マスコミ、特にテレビは大嫌い」の私にしては、いくぶん誠実に答えようとはしていたのである。だから実際には、電話を切った後で、電話を前にして「今の電話は何やってん」とあっけにとられ、「思いだすにつれ腹が立ち」時間が過ぎるにつれて「考えれば考えるほどムカムカしてきた」という方が実際に近い。

その電話で次なる取材先として頭に浮かんだ方というのは、ドルフィンプロジェクトの現場で、私のように「テレビカメラや新聞記者が近づいて来たらさっさとその場から離れる」というような「過剰なマスコミアレルギー」に罹患しておらず、にこやかに取材に対応していたぞ確か、という方を紹介申し上げたのである。

その方々というのは「おそらく取材には協力的に対応し、私のように不快感につつまれることはない」方々である。しかしその後に「プロジェクトXとはいかなる番組か」ということを知った「今の視点」からすれば、その方々は「新聞記者にコメントを求められたような場合には、記者を十分満足させるコメントを発する程度にはプロジェクトにかかわっていたが、プロジェクトXのような感動秘話を進行させるほどにはプロジェクトのキーマンの位置にいた人ではない」ということが分かる。

> 同じプロジェクトに参加した方々の中で、
>この方々にお話を聞いても番組にはならな
>いだろうという方を厳選して、そのディレ
>クターらしき方には連絡先をお伝えした。

と記したが、つまりこれは「取材にアレルギーのないだろう方を数名選んだが、結果的にその方々は番組制作には都合の良い人たちではなかった、良かった良かった、というふうに、現在の視点につないで書いてしまったので、上記の表記になっている。

えこまさんは、紹介を受けた方々の迷惑を考えなかったのか、という素朴な疑問を表明して下さっている。今回の指摘を機に考え直してみると、まったくとおりである。電話中は「あわわわわわわ」という感じで、終わった後にだんだん腹が立って来た。時間がたつほど腹が立ってきた。結果的に取材を迷惑とは感じないだろうという人は選んでいたのであるが、今思えば、「迷惑」の輪を広げていたかもしれない。自分だけ憤慨して、紹介した人のことを忘れていた。この場を借りて、高槻のガンちゃん、京都のちあきちゃん、ごめんなさい。


●今回の背景2 

津田は電話の後感じたことを、電話中に感じたことのように記憶を一時的に書き換え、結果として復讐になったことを、意図的に復讐に使ったように書いてしまった。