321話 閑話休題 コメントにうわっ 1

320話にコメントを頂いた。

> eco1 『突然お邪魔いたします。
>
> >同じプロジェクトに参加した方々の中で、
> >この方々にお話を聞いても番組にはならない
> >だろうという方を厳選して、
> >そのディレクターらしき方には連絡先をお伝えした。


> う〜ん、先生のその時のお気持ちは充分に察するに価するのですが、その対処法として、「全然取材に役立たない人をあえて紹介する」という行為はその慇懃無礼NHK職員に対してはともかく、次に取材される方(紹介された方)に対して失礼な行為ではないでしょうか。(私がその立場だったらそう思うので)
>
> 「信頼されて」俊さんに紹介されて取材を受けても不愉快になるような相手を「取材の足しにならない」と判定されて紹介され忙しい日常に取材される方の立場やお気持ちは配慮されなかったのかなぁと感じます。つまり相手に反目する自分の気持ちを満たす(?)ために関係のない人間を巻き込んでしまってないでしょうか・・・?私なら「あなたの取材態度はなってないです。こういう所が不愉快です。」という意思表示を相手にして丁重にお断りすると思います。その方がその職員も「学習」できてよろしいのではないでしょうか?
> ありのままの感想をコメントさせていただきました。
> 失礼いたしました。』
>

おー、えこまさん。コメントありがとうございます。
確かに、確かに。

我が文章を、他人の目で読むならば、確かにその通りに読めるではないか。ともにイルカを救えプロジェクトを戦った「同志」に、訳の分からない偉そうなディレクターを押しつけたと読めるではないか。えこまさんは指摘されていないが、そんな横柄ディレクターを押しつけて来た俊さんも、悪者に読めるかもしれない。うわっ。

私は自分のことをそれほど悪いやつではない(と自分では思っている)。少なくともこの号で私が書いた文章のように読みとれるような悪人ではない。しかし、えこまさんの指摘の通り、腹立ち紛れに他の人に「横柄ディレクター」を押しつけた悪人がそこに書かれている。何で?と考えて、なるほどこういうことをしていたのね、と気づきを得ることもできた。今回のえこまさんのコメントというのは、非常に貴重なものである。ありがとうえこまさん。

そうでなくとも、一つのテーマが長いブログである。本来「日記」を書こうとして始めたのが、まったく日記の様相をとっていない。これだけの分量をつらつら書いていても、前提として書いておかないと誤解をまねく表現に至ることの書き落としがある。そこいらをコメントしておこうと思う。

まず筆者はマスコミが好きではない。しかしその少年時代は、新聞・テレビというのは、真実を報道するものであると思っていた。

高校の卒業式の時に、粛々と進む卒業式が滞りなく終了した時点で、卒業式ジャックをした。といっても猟銃片手に立てこもったというわけではない。3年生各クラスの代表と相談し

「去年の卒業生はクラッカーを鳴らしたが、同じことをするのは我が学年の本意ではない。真似ではつまらないし、先日も生徒指導の先生と廊下ですれ違った時に『おいおい、津田、卒業式で何かたくらんどるんとちゃうか。クラッカーは禁止やで』ときっぱりと申し渡されてもいる。色々と不満もあったろうが、総じていい学校だった。先生方にも世話になった。自分たちと同時に校長先生も退職されるそうだ。ってことで担任&校長先生に感謝状を贈るっていうのでどやろか?」
ということになった。

式が滞りなく終わった時点で、各クラスの前に担任の先生方に出ていただき、司会役が朗々と感謝状を読み上げ、クラス代表が担任に感謝状を渡す。担任の一人G先生は、涙をこらえるのに顔を天井に向けていたため、「先生方お戻り下さい」の司会の声が耳に入らなかったらしく、他の先生が退席された中、ただひとり、上を見上げたまましばし、一人涙を流されていた。満場が感動を共有したのである。その後、自分たちと同時に学校を去られる校長先生にも感謝状をお渡しした。けっこう感動的だったのです。

すると翌日、そのことが新聞数紙に掲載されていた。我が家の新聞は確か「退職校長に感謝状を贈る」という見出しだった。読んでびっくりした。新聞によると、生徒達は失業式終了後「校長室」で「校長先生を囲んで」感謝状を手渡したことになっていた。校長だけじゃないで、と思った。担任が1で校長が2やで。

これはいったいどういうことだ。「卒業式会場」=「体育館」で校長先生に感謝状を渡したのは俺だ。じゃあこの「校長室」に行ったのは誰で、校長先生を囲んだのは誰なんだ。しかも翌日、別の新聞の切り抜きが後輩から届いた。それには体育館で校長に感謝状を手渡す私の後ろ姿が写真で掲載されていた。やはり私が幻覚を見たのでもなければ、妄想を抱いていたのでもない。

新聞というのが、実はけっこういい加減で、ろくに取材もしないで適当に書く、という場合があることを18歳の私は深く心に刻みつけたのである。

さらにその後も「メディアってけっこういい加減」で「社会的な必要性や公平性や真実」とはけっこう違う面を持っていると実感する「マスコミと私の体験」が続き、震災時には、「新聞もいい加減かと思ったが、テレビはもっともっとたちが悪い」ということが決定的に私の中に刻み込まれてしまった。徹底してメディア不信が、私の中で確立されてしまった。

ということで、今回の「NHKからの電話」という段階で、「わっ、テレビだわ!」ではなく「え〜、テレビかいな。何やねん、いそがしい時に」と言う感じであった。

●今回の背景1 津田はテレビが嫌いだ、というのが前提にあった。(続く)