325話 NHKに心からご提案申し上げる

NHKを語るのもようやく最終回である。何ゆえ、これほどこの話題が続くのか、というと今のライフスタイルがちょっとかかわる。

和歌山から難波まで1時間南海電車の旅がある。そして、ソニーのバイオという小型のノートパソコンを持って乗り込む。ここで会報の原稿などをやればいいのであるが、そういう仕事よりもブログの方が書いていてストレスの解消になる日がある。それでこの項を行きがけに書き出した。そして帰りにも書いてしまった。ざっと書いただけでも四日分ぐらいの分量になる。手を入れていくと6日分ぐらいになる。おまけに今回は、はじめてコメントなども頂いてしまった。嬉しくなってその追加分でまたまた三日増えた。

ブログを続けることで、日記になるだろうと始めたのであるが、この内容では日々何を感じて何をやっていたのか、という記録にはなっていないなあ、と思う。数年後に読み返せば、2005年5月末から6月始めは私の心身はNHK一色のようになっている。そんなこたあない。
とにもかくにも、NHKはそろそろ終りである。




今回の「大げさにでっちあげ事件」の釈明を「スタジオパークからこんにちは」の中でやります、というような予告をNHKで見た。(というのは、おそらく5月末あたりの話だった)

反対である。

昼の番組を任されるような、温厚で人畜無害なイメージのアナウンサーが、真摯な表情でNHKの釈明を読み上げるのであろう。そして反省の言葉をNHKを代表する立場で述べるのであろう。(残念ながら見ていない。見た人があったらぜひどういうものであったかお教え願いたい)

言語同断である。片腹痛いわ、である。そういう代行作業で、贖罪されると思ったら大間違いである。

心から反省している、という心を視聴者に届けたいと思うなら、今から筆者が述べることを実行されるべきである。もしも実行されるなら、私はNHKを心から見直すであろう。受信料を2軒分払ってもいい(1ヶ月だけなら)。
それでは提案申し上げる。

今回の「ドキュメンタリーを話をおもしろくするために大げさにねじ曲げた事件」を、プロジェクトXの番組として一切手を抜くことなく制作するのである。そして寸分違わぬ45分の番組に仕上げて放映するのである。心から反省したいなら、ぜひぜひそれをすべきである。

もちろん同じ週の木曜日の深夜あたりに再放送するのも同じ。数年たったら正規の放送枠で再放送するのも同じ。ビデオ化するのも同じで、TUTAYAでレンタルできるようにするのも同じである。前の週には予告編も流さなければならない。

ナレーション(いつもの国井雅比古アナがいつものトーンで)

「次回プロジェクトXは、ねじ曲げられたコーラス部の功績。たいして悪くなかった高校を、退学者年間80人という最悪な学校に仕立て上げます。事実をねじ曲げる時、NHKの男たちに何が起こったのか?慢心と傲慢のはざまで道を外れていく制作者たちに、ふだんのプロジェクトXのように都合よく救いの神は現われません。次回プロジェクトX『俺達NHKの企画に、事実を沿わせろ! フィクションだったドキュメンタリーの裏側!』お楽しみに!」


そして、いつものごとく田口トモロヲさんのナレーションで番組を始める。
中島みゆきさんのテーマのバックに、どんどん「見出し」もかぶせていく。
関係者の顔写真もふんだんに集めておかなければならない。
そして、今回の番組の企画〜取材〜編集過程の事実を、もちろんねじ曲げることなく番組前半で丹念に落としこむ。

善場アナいつものようにさわやかに
「それでは、今回の事件で、ねじ曲げる最初のきっかけを作った●●さんと、それをねつ造だと知っていて黙認した●●さんにきていただきました。」♪ピポピポピーン♪

関係者はいつものようにスタジオに呼び出されなければならない。

国井雅比古アナ、いつものようににこやかに
「いや〜、取材された材料を台本にまとめる時、取材とは違う内容を書いた時、どういうお気持ちでした?」

ここで、反省のコメントなどを述べてはならない。心情をありのままに述べなければならない。ニ度くり返しません、という表明は誰でもできるのである。誰が悪かったのかとう生け贄を作ろう(スタジオに出すというのはすでに生け贄にしてしまっているかもしれないけど)というのではない。事実ありのままをわかりやすく編集して放映するのが大事なのである。それが事実なら

田口トモロヲ「制作部の空気、よどんでいた。マンネリ化していた」

とナレーションしてもらわないといけないし、
「締めきりが迫っていた」
というのが事実なら押さえなければならない。

そして、番組の最後には処分内容をナレーションしてもらう。

♪ 語りつぐ 人ぉも〜なく 吹きすさぶ 風の中で

トモロヲ「ディレクター A 三ヶ月の減俸になった」
トモロヲ「ディレクター B  ●●に降格になった」
「プロデューサー、C おとがめがなかった。今もぬくぬくとしている」(事実関係とここで述べる役職名はフィクションです)

というところまで精密に仕上げてほしい。

いかがであろう。ここまでやったら、ホントに二度とくり返し気にならないと思うけれど。