357話 夏の思い出? 市尼の1

昨日は、我が母校・市立尼崎高校高校野球夏の県大会、準決勝で敗退というしごく残念な日であった。昨年は決勝で破れており、甲子園を目の前にして、我が後輩たちは2年続けて涙を飲んだようである。

準々決勝まで破竹の勢いで勝ち進んだ我が母校であったが、神戸国際大付属の前に、6対2で破れたのである。

兵庫県のご当地UHF「サンテレビ」で中継を見た。なつかしい明石球場である。筆者在学の折りには、一年生の際に決勝で破れ、2年生時はベスト8か16。そして3年時に再び決勝進出して、やはり涙を飲んだ。

1年時には「おいおい、野球部が決勝に出てるで、応援いこうで」というようなことで、何の気なしに明石球場に行ったのである。野球部のベンチ入りできない同級生たちが炎天下で学生服で応援団をやっていた。優しい筆者は、死にそうな顔でリーダーをするM尾浩二くんに、持っていた冷たい飲み物を差し出した。

応援の隙をぬってM尾くんは言った。

「O田のおっさん、(体育教諭で生徒指導部長)、テレビに映るようになったら急にきて(※ベスト8の試合からサンテレビで放映される)偉そうにあれこれ指図しよんねん」

おお。まさしく。O田先生は、チャーリーブラウン風の髪型に、スッポンのように首を突きだしてあれこれ指図しているのであった。なんとなくM尾くんの言う「テレビに映るようになったら急にきて」のフレーズが脳裏に残った筆者だったのであった。

それが高校一年生、夏のことだった。(ここは『北の国から』の黒板純くんふうに読んでほしい)

また富良野に冬が来た。富良野に冬が来たら、少し遅れて自動的に尼崎も冬だった。(秋だったかな?)今度は市立尼崎高校女子バレー部が、県大会決勝に進んだ(らしい)。体育教諭が担任のクラスの友人が「おい、津田。バレー部が決勝でな、テレビで放映されるらしいんや。ほんでな、応援団作れやて。お前団長な」

実に安易でいい加減な我が母校である。しかしすこぶる効率的である。なぜなら数時間後には応援団が結成されていたからである。各学年2クラスのみ、という山間部の過疎高校の話ではない。各クラス45名10クラスの一学年450人という規模である。市尼教師軍団は生徒の勘所を押さえていたようである。各クラスに通達をし、クラスごとに有志をつのり、(または人数を割り当て)選挙でリーダーを選ぶ、というような民主的な手続きを一切無視し、こいつとこいつとこいつに話を向けたら、目立ちたがり屋が自動的に集まる、ということを見抜き、ご指名一発でことを進めたのであった。