453話 怒濤の日々

6日の月曜日には、

「20日ぶりの休日だ!ったらお休みだ!」


「やるべき仕事はたくさんあるけれど、それは午後からやりますから、20日も休みなしでガンバって来たんですから、少しぐらいのご褒美があったっていいじゃないですか。どうぞ私めに山と森と清流の空気を吸わせてやって下さいませ、お代官様〜!」


と、自分で自分に言い訳しながら九度山方面に朝からドライブに出かけた。


何ものかに導かれるがごとく、こんなところに道がついているの、と思うような奥の細道にふらふらと入り、こんな道もついていないような崖の下に何で俺は降りるのというようなところを車から降りて谷に降り、見つけてしまいました。


秘境中の秘境。絶景、静寂、静謐、清浄、3段に連なる滝に、透明な水、こけむす岩。適度な広さの川原。豊富な流木=たきぎ。


渓流釣りの釣り師もおそらくはほとんど入ってこず、人家もところどころしかない山の中に、とっても素敵な川原を見つけてしまい、昼過ぎに上機嫌で帰宅。(ミュート春の温泉と秘境ツアーを企画して、ぜひご案内したいと思います)


と、入院中の97歳の義祖母が容態急変の一報が入る。危ないかもしれない、危ない、持ち直した、危篤などと一報ごとに状況が変わり、最終的には息をひきとったのが夕方5時過ぎ。


と、その最後を知らせる一報の直前に別の電話が入り、それが長男の通う中学校の養護の先生から。野球部の練習で足を骨折して今病院からだという。


義祖母の死去と、長男の骨折というのがおおそ30分のインターバルで起こるというたぐいまれなる確率の状況の中、そこから怒濤の日々、激動の日々が始まり・・・・何がなんやらわからないうちに、今ふっと気づくともう木曜日の夜だった、いつの間に4日もたったの?という次第。


人一人亡くなるというのは寂しい話だけれど、御年97歳、数えで98歳、という年齢を考えると、「逆にめでたいぐらいのもんだのう」という親戚筋の会話。


本葬だった今日一日で、告別式から初七日法要、さらにはお墓への納骨まで終了。先ほど自宅へ帰宅。


地域と宗派が違うと、通夜・葬儀とも自分の知っている葬儀とは段取りも中身も違い、当日いきなり納骨まで終わらせるのには驚いた。


義父母の家は、和歌山市からさらに高速を走って40分ほどの漁村である。お墓のあるお寺はそこから山側に登ったところにある。


葬儀の会館からお寺まで、「この人が道を詳しいから、この人の車について行ってください」


という車の後を、5台ほど連なってお寺に向かう。


直線距離でならたいしたことのない距離であろうが、この車列から決してはぐれてはならない。


お寺の名前は分かっているので、仮にはぐれたとしても土地の人に聞いて行けば良さそうなものであるが、さにあらず。


それは和歌山の、そのあたりの土地を知らない都会のお人の考えることである。


道はゆるやかなアップダウンを繰り返しながら、右に左に蛇行する。故に見通しはきかない。信号はない。左右はほとんど山かミカン畑で、梅の木もけっこう花を咲かせている。


都会であれば、


「ああ、そのお寺なら、ここから三つ目の信号のコンビニの角を左に曲がって、2つ信号を行き過ぎたら●●というマンションがあるので、その50メートルほど向こうの三叉路の一番右をまっすぐに行って、300メートル行けば見えますよ」


というふうに説明ができる。


しかし、このあたりでは


「ああ、そのお寺なら、この道を道なりにまっすぐ行くと、最初は右にカーブひているけんども、そのうちに左に曲がって上がってさがって、突き当たりのミカン畑が見えたら、次の角を左に行くんよ〜。ほいたら、そこからミカン畑に沿ってまっすぐいんで最初の梅の木を右に曲がって左に曲がって、そしたらミカン畑があるから、そこから300メートルミカン畑に沿って上がって下がって梅の花が咲いているからして、突き当たりのミカン畑のところを左。ほいたら八幡様の鳥居があんのでよ〜、それをくぐって右にミカン山を見ながら、200メートルほどいくと、キウイ畑があるので、その先なんよ〜」


というような説明になるのは必至である。つまり、地元の人の道を聞いても、よけいに迷うだけである。へたすると帰れなくなる危険性さえある。ミカン畑の間で遭難したくはない。


ということで、断じてはぐれるものか、とついて行って、無事お寺について、法要やら納骨やらが万端終了して、帰宅して、片づけて、食事して、今に至る。