496話 打ち合わせ

31日。

みちのくへ単身赴任中の兄上が午前中、お仕事前の道場にやってくる。亡父の残した「借地に立っている老朽化甚だしい2件の家屋の処理」などについて、という30歳台のころには想像もつかなかった諸問題について打ち合わせをする。


その後、道場の受付を新たにお願いするN納さんと受付等業務内容について打ち合わせをし、その後最近できたインターネットカフェなるところでばしばしとパソコンを叩いた後、夕方の「快の学校」へ。


体験入学の方もおられて道場が手狭なほどの盛況さなので、メイン講師ではない筆者は、プロデュースをお願いしているM尾氏と運営などについて道場の外で打ち合わせ。


終了後、某企業の方々と河野先生以下、夕食を兼ねてうち合わせ。


なんか、打ち合わせばかりの一日である。いろいろと動き出しているということでもある。ありがたいことです。



【打ち合わせ】
鎌倉時代の武士が、合戦の前に作戦を話し合った後に、お互いに刀を打ち合わせて合意した意思を表していた儀式を語源とする。転じて方針・方策などの話し合い全般を指すようになった。(と、今勝手に作った。嘘ですようそ)


というような言葉の起源があるのではないかな、とふと思った。


だって「打つ」も「合わせる」もどちらも一瞬で終わるような行為でしょ。


担当は誰で、責任者は誰で、開始は何時で、持ち物は何で・・・・、ってあれこれ延々長くやったのでは、「打ち」「合わせ」という「瞬時に終了する」動詞で表現されうる言葉が指すものと合わないような気がする。


だから、本来の意味では打ち合わせとは瞬時に終わる行為を指していて、「一日中打ち合わせ」という言葉は、本来の意味からするととてもおかしな言葉かもしれないと思っているということである。

で、ここで『打ち合わせ』という言葉の本来の意味を調べて、もしも上記の予想がまったくの見当違いだったとすると、書いた原稿が恥ずかしくてボツになるので、調べないままにこの項を終えるのである。



ところで、みちのく兄上であるが、30日に実家に帰宅したおり、筆者が「母が、いるかに乗った少年を「いらか」とか「イクラ」と言い間違えた話をブログに書いた」ということをべらべらと報告したらしい。

1日に泊まりに行ったおり、母は言った。


「せがれや、イラクに乗った少年って言い間違ったってインターネットで書いたんだって」(ホントにこう言った)