512話 鞆の浦から宝塚

meuto2006-09-29

28日夜9時。ホロンPBIさんでのニコニコタッチセラピー終了後、ためさんのプリウス山陽道を一路西へ。向かうは岡山県笠岡市の俊さんちである。


深夜1時30分俊さん宅へ到着。3時半ごろまで話し込み、8時過ぎ起床。


おいしい朝食をいただきながら、昨夜の続きとして、ひとしきりあっち方面やこっち方面やそっち方面の話をする。


この『あっち』『こっち』『そっち』に関しては、各方面差し障りのある話題と、各方面怪しすぎると誤解を招く話題と、読者諸兄の関心とはまったく無関係であろうという話題のため、ここにその詳細を明らかにすることはできない。


午前中に、ふみさんの「薬効手染め」のお店で色々と物色の後、市役所経由で笠岡の干拓地へ。天然記念物のカブトガニの生息地である浅瀬に、海をしゅんせつした海砂を入れて『農地』にしつらえたその干拓地は、地表に塩の浮く悲しい農地であったのである。


そこに、建設会社なんだけど、農業の新しい可能性を試みる、というので悪条件の中で参入されたのが福山市の平和建設さんである。そして、今日は10月に行われる「摘み菜を伝える会」代表の平谷けいこ先生のイベントの多角的な下見、というのがためさんに課せられた使命であった。


そして、この平和建設さんが、鞆の浦の「坂本龍馬紀州藩といろは丸事件の談判をした古民家」を龍馬ゆかりの宿として3年がかりで再生しようとしている会社である。


平和建設の岡田社長みずからの運転で、鞆の浦へと向かう。まずは龍馬ゆかりの宿・再生工事現場へ。


表通りに面したところは、写真のように紅柄格子の江戸末期のおもむきとなっているのだけれど、中はまだまだ建築途上なのである。一般の観光客のみなさまは表から眺めるだけなのだが、なんせ建設会社の方々とごいっしょなので、シートをめくり中へ入れていただく。


そして、この再生工事の途中で、名前を出せば誰でも知っている世界的かもしれないレベルの某著名人がおしのびで鞆に逗留していた際、この再生工事の話を聞き、驚くべき形でかかわっているのだが、表に出ていない話なので、ここに誰がどうしたのか、というのを記するわけにはいかない(う〜言いたい)


その後岡田社長に鞆の浦の町並みをご案内いただきながら、前記の「う〜言いたい」という話を筆頭に、秘話から裏話から壮大なプランから緻密な作戦から問題点から戦略からをお聞きする。


ためさんと津田は「へえっ!」とか「う〜ん」とか「ええ!」などの単語をゴシック体の太文字で合計100回以上は連発していたのであった。


その「100へ〜」の内容を書くと、二日ほど徹夜しなければならないのは目に見えているため、その全てを明らかにすることはできない。ほんとうに、ほんとうに残念である。


しかし、そのプランとすでに着手していること、また今までに実行されてきたことなどは、とうていこの紙面で紹介しつくせるものではない。スケールが大きな、地域のことを考え、環境のことを考えておられ、まことにまことに意気に感じる中身であった。そして、鞆の浦という町を心から愛する思いがひしひしと伝わってくるお話であった。


この鞆の浦には歴史的な景観を台無しにするある開発事業が持ち上がっているのだが、岡田社長は開発してなんぼの建設業界の人でありながら、街並みの保存の筆頭のような活動をされているのである。

もの静かであるけれども、それこそ坂本龍馬のような方であり、ためさんと津田は勇気と元気とやる気と活気と感動とを大盛り・特盛り・つゆだくの汗だくにいだだき、ついでにコロッケもごちそうになったのであった。


さらに「いろは丸記念館」を見学し、『NPO法人 鞆 町づくり工房』に連れて行っていただき、代表の松居さんにお話を伺ったところで時間切れ。泣く泣く鞆の浦を後にする筆者とためさんだったのであった。



帰りのプリウスでは、おっさんふたり懐メロCDをかけながらの車中であった。筆者が『愛と青春のニューミュージック大全集 4枚組』で勝負をかけたところ、ためさんはなんと『坂本九 ベストヒットコレクション』という必殺技を繰り出してきたのであった。

鞆の浦での感動の余韻に浸りつつ、スペシャルハイとなり、おじさん二人、坂本龍馬の後はなぜか坂本九の大合唱大会となり、「♪見上げてごらん〜 夜の星を〜」などと絶叫しながら、ぎっくり腰のIさんの待つ宝塚へと帰ったのであった。


まことに濃い、ほんとうに濃い25時間であった。ディープインパクトでった。