第521話 高野山合宿二日目 

昨日の雨模様が一転して、うろこ雲がたなびく秋の空。ちなみに夜にはそれが晴れてきれいな『準 満月』も楽しめる絶好のコンディションである。


朝6時半から宿坊の勤行に出させていただく。


世界遺産ともなった高野山である。もともと空海がこの地をそういう総本山の地にしようと選んだ、という霊的?な地勢というようなものももちろんあるだろうと思う。


神や仏と交流する地として選ぶのであるから、駅前・駅近・駅周辺のどこに新装開店しようかしら、という経営者のレベルでない真剣さと能力で選ばれたのであろうと推察されるが、そういう能力のない筆者には「そうなんだろうなあ」と想像することしかできない。


しかし、その後この地を聖地たらしめたのでは、その後に続く連綿とした方々の真摯な信仰心のようなものなんだろうなあ、と想像した。


家の回りをおばあちゃんが掃除をして、登る朝日に「ぱんぱん」と柏手を打つ、っていうレベルであっても、確実のその家周辺の「場」というものを良くしている作用はある、というのは筆者にも感じられる。


この地高野山では、幾十という寺院で、朝だけでも一斉に僧侶達の仏と向き合うピュアな波動に満ちるのであるから、これを一年365日毎日、それを何百年にわたって続けてきた地というのは、やはりそういうものになるのであろうなあ、とこれまた想像する筆者であった。


日頃は考えないそういう思いに筆者が満ちる、というのもやはり高野山のなせるわざか、と感慨にふける筆者であった。


勤行が終わった午前中の早い時間。連休とはいえ、観光客もほとんどおらず、昨夜宿坊に泊まられたのであろう観光客がちらほらという、まことに静かな高野の朝である。


ズンズンズンズンズンズン ババババ バババ

 
ズンチャカチャカチャ  ズンチャカチャカチャ

ダカダカダカダカダン

突如として聖地の静寂を破るドラムの響きにエレキの音。


おお、駐車場をはさんですぐ向こうに見える「高野山大学」も秋の学園祭シーズンとあって、大学祭『曼陀羅祭り』を開催。


高野山大学に学びし、明日の真言密教をになう「坊さん卵バンド」(だと思う。聞いたわけではない)のみなさまの学園祭向きリハーサルの音色であった。


法統の声明にしびれた後、跡を継ぐものの若いエネルギーの発散を耳にするというのも、また一興かとなぜか嬉しくなる筆者であった。


合宿の中身やそのた諸々は、どれも非常に楽しく充実しており、ここに記録するための取捨選択に迷うために、今日はここでパソコンを閉じる深夜12時の筆者であった。