554話 0先生と出会う

阪急梅田駅で、四つ橋線に乗り換えるのに、真ん中の改札を出ようと思って後目の車両に乗ったら、なぜか地下鉄乗り換えには一番遠い茶屋町口に近い改札への降車階段に行ってしまった。ら、ららら、

階段を2段先に下りる中年男性の横顔を見ると、筆者の母校市立尼崎高校在学当時の生徒指導部長のO先生ではないか。


O先生とはここ10年ぐらいの間に2度ほどばったりとお会いしたことがあって、今回は確かかれこれ2年ぶり。


「O先生、津田です!」


「おお、津田やないけ」


ということで京都方面へと乗り換えられるO先生と、地下鉄方面に出ていく筆者の二人は、改札前でひとしきり話に花が咲く。


O先生は、入学してすぐ校庭で整列したところで、いきなり最初から語気荒々しくどなっていた先生であった。まだ何も悪いことはしていないのに、(ってその後はさんざんしたけど)そんなに怒らなくても、っていうのが最初の記憶である。


気分が高揚してくると、口が前に前に出る。首が前に伸びる。筆者はO先生を「スッポン首のO」と陰では言っていた(面と向かって言ったら命が危なかったであろう。とか言いながらこういうネット上で公開するのはいいんだろうか)


体育教師で短髪であったのだが、その短髪の前部分だけをひさしに上げていた髪型をもって「チャーリーブラウン」と呼んでいた女生徒もいた。(こちらは命は助かるであろう)


簡単な近況報告。60歳を3年越えられた先生は(うそ、めちゃくちゃ若いやん)、その後も公教育関係機関にて嘱託で働いておられるそうだ。


こちらの状況なども申し上げて四方山話していて、いつしか話は「回想録」というテーマに行きついた。


筆者在学中の校長先生は、筆者卒業時に同時に退職されたのであるが、この浅沼校長の回想録はおもしろかった、という話などが出る。


しかし、O先生が書くとなるとなかなか難しい。なんせ底の浅い問題ではないところに突っ込んでいったりしたケースが多々であり、その関係者も多く、いい話ばっかりではないので差し障りが多すぎるという方面へと話題はうつる。


例えば、筆者のクラスメートだった○が、家出をして彼氏のところへ逃げたのだが、その彼氏というのが○○組の関係者で、O先生はその○○のところへ行き、談判をして、その結果として○○は××として・・・・ううう、確かに差し障りが多い。


筆者が知る範囲でも固有名詞を出すのははばかられること多々である。裏の裏を実際に体験し、○○組におもむいて話をつけてくるようなO先生の体験した裏の話なんてなったら、差し障りの比はこの比ではない。差し障りのオンパレード、差し障りの団体旅行状態であろう。


うううう、言いたい。(つづく)