555話 O先生と会う 2

・・・というような話を皮切りに、思い出話にさらに花が咲く。しかし、この時に交わされた話は書けない。これらの話が暴露されると、教師もしくは元教師の社会的生命が抹殺され、首がひょいと飛んでしまうやもしれぬ。


O先生だって、筆者に語るのに問題のない程度の話をもちろん、されているのであって、筆者に語れない話というのはそ数十倍の規模でうなっているのは容易に想像がつく。

そのような話を次々に暴露していくと、さらに関係者の怨念は暴発し、関係者の首はひょいひょいと飛んでいき、このブログの通った後には生首が累々とさらて、関ヶ原の戦いの後のようになってしまいかねない。


あるいは、首になる関係者の数が増えるのではなく、O先生を何度も首にしなければならなくなり、しかし首は一個しかないので、テレビショッピングの「簡単便利 野菜カッター ほらタマネギスライスもこの通りスイスイ!」を使ってスライスしないと数が足りないかも知れない。


プレパラート状のO先生というのは、あまり見たくない。


そういうことで、筆者の駄文によって恩師の皆様方にご迷惑をおかけすることはできない。


ここで唐突に「恩師」という表現を使ったが、単なる社交辞令ではない。恩ある先生であるからやはり恩師であろう。なんせ今思い出しても当時はむちゃくちゃおもしろかったからである。今ももちろん日々おもしろいが、あの当時の年齢で体験できる3年間としては比類なきおもしろさであった。


そこにはたぐいまれなる個性の友人達てんこ盛りという幸運に恵まれたのはもちろんであったが、そこには青臭い中途半端なガキを、一人の人間としてぶつかって下さった先生方がおられてこそというのはひしひしと感じる実感である。(続く)
wa