556話 O先生と会う 3

O先生の口から、我が同級生の名前が続々と登場する。


「あのころはホンマおもろかったな」


との発言がO先生の口からでる。先生の顔は嘘でなく、お世辞でなくおもろそうだった。あの鬼のOが、笑福亭つるべのように満面の笑みでそう言われた。


あ、こちらもおもしろかったが先生方もおもしろかったんだ。


教師生活40有余年、歴代「こいつらとかかわっておもろかったランキング」のかなり上位に我が世代はランクされるようである。


「お前の応援団のリード」

とO先生。


当時筆者は、学内に「阪神タイガース私設応援団」を結成しており、その初代(って一代でつぶれたけど)団長であった。


「万単位の人間を前にしてふだんからやっとっただけに、なかなかのもんやった」


たしかに、阪神甲子園球場、ライト側外野席のメインの場所におじゃまして合流させていただいていたから『万単位を前に』は嘘ではない。


それにしても、とてもおおらかというかいい加減な我が母校は、正式な応援団がなかったので、「せっかくあるものは使わなきゃ」と、わが阪神タイガース私設応援団に、インターハイ出場選手の壮行会や、春の高校バレーの応援をまかせるのであった。


「インターハイだろうと、高校バレーだろうと、何でもタイガースの旗振って」


って、それしか持ってないんだもん。いくらなんでもまずいかなと思って、一度虎のマークの部分に黄色い画用紙にマジックで校章を書いてセロテープで貼って応援したことがあるが、10分もしないうちにはがれた。夏の高校野球決勝に進んだ野球部は、ベスト8以後は地元サンテレビで中継されたが、それでも「その応援やめろ」とは言われなかった。


「何でもタイガース風の応援にしてしもて・・・、それがまたいいリードすんねんなあ」



「後輩の連中で、なんや臨時応援団結成させてやらす時にはお前の話をしてやった」


って、どういう文脈で登場するのか訳が分からないが、ありがとうございます。


しかし、思い出は年々美化され、その中身・内容・大きさというのは年利5%ぐらいの複利計算でふくれあがると思われるので、15年〜20年も経つと元金の倍以上になるため、二人の会話は当時の正確な状況を反映していないかもしれない。(って読者が理解可能なように少し脚色もした。だってそのまま書いたら以心伝心・当意即妙・割れ鍋に綴じ蓋・あうんの呼吸に関係者差し障りに生首ひょいひょいで、書けないんだもんね。


かくして63歳の元指導部長と45歳の元応援団長が、阪急梅田駅改札の前で熱く語る青春熱血秘話はさらに続くのであった。