572話 危険 わき見 するな
先日、あさちゃんがとってもとってもとってもお気に入りのスタンドのカバーの絵入りのガラスを割ってしまった。
泣きながらかけらを拾い集めているあさちゃんに、できるかどうかは分からないけれども、ガラス用の接着剤を買いにこうよ、と声をかけ、そぼ降る雨の夜に、ホームセンターへ車で出かける。
途中、ロータリーから道なりに曲がってホームセンターまで後少しというところで、道路に突き出して「自動車運転手向き」の電光掲示板があった。
「危険」と表示されていた。一秒もたたない間にその画面は
「わき見」
に変わった。そしてまた0.8秒後に
「するな」
と表示された。
筆者の車の運転はけっこう安全運転の方である。山道を走ると、速度を出さないので、後に数珠繋ぎに後続車が連なるため、時々道路脇に車を停めて、追い越してもらう、という感じである。
この日は夜の雨天。道路の見通しはきわめて悪い。
この電光掲示板の内容はいったい誰が考えたのであろう。そしてどういう意図があってこの内容にしたのであろう。
人一倍安全運転を心がけている筆者が、この3面が全て表示し終わるまで、しっかりわき見運転をしてしまったではないか。おそらくは2秒〜3秒しっかりわき見運転をしないと、この電光掲示は読みとれないようになっているのである。
この電光掲示板の内容を考えた人、あるいはこの内容を許可した人は、ほんとうに心の底から「運転手のみなさんわき見しないでね」と思っているのであろうか。
それとも、わき見をしないと見えないようにわざと設計して、結果「ああ、こういうふうにわき見をしちゃだめなんだな」と経験から悟りなさいという、実は深淵な意味を持つ深い深い電光掲示なのであろうか。
しかし、この「危険、わき見 するな」を見ていて、事故を起こした人がいたら、この電光掲示板設置者はどう申し開きするのであろう。きっとしらんふりするんだろうなあ。死んだふりするのかな。
先日は「8月は道路ふれあい月間」という電光掲示に、いったい何にふれあえばいいんだろうと考えたが謎だった。
道路に標示される電光掲示板というのは、謎が多いのである。