694話 ダレ防止
仕事がうまくはかどらないと、鬱屈としてくる。
うまくいかないほど、一発逆転を狙いたくなり、一気呵成に好転させたいと思う。
そういう場合に、「こうやればビジネスはうまくいく」とか「段取り力で差を付ける」とか「手帳のこの使い方で能力アップ」なんて本(書名はいずれも架空)に手を伸ばしたくなり、結果としてさらに時間を浪費し、ますます鬱屈する、というようなことは何十年繰り返したパターンである。
計画をたてて、その通りに進まない。よけいに自己嫌悪に陥る。
だいだい、計画を立てている自分は、その後その計画を着々と実行していけるような自分ではない、ということを計画を立てている自分はどこかで気づいている。
そして、願わくばこの後「計画を着々とこなし、処理していける別の私が登場してくれないかなあ」と願っているが、そういう私が現れる確率はほとんどない。ただし、ほんとうにまれにそういう場合もあるので、そこに一縷の願いを込めるが、裏切られることが多い。
少なくとも筆者は、計画を立ててうまくいくタイプではない。
最近、そういう際に、わずかながらもやる気が残っている場合には、計画は立てない。
かわりに、行動を分刻みでひたすら記録する。
手帳に大判のポストイットを貼って、手元に置くか持つ。
7:20 ひげ
23 トイレ
27 荷造り
38 移動 自己ニコニコ歩行
42 切符を買う
「創造的だなあ、いいことしたなあ」
なんて思うことは、4色ボールペンで緑の○を付ける
「この怠けものめ」
なんて思うことは赤の○を付ける。
すると、みるみる怠けものの私は、働き者で創造的な私に一変する。
とっても創造的な一日を計画して、その計画どおりに一日を過ごしても、それはその計画を立てた過去の私が偉いのであって、実際に働いた今の私の評価は一段二段下がる。それって悔しいではないか。計画通りに行く、ということは計画以上には行かないということでもある。
ところが、計画を立てないで、ひたすら記録をする。すると行動は瞬時に創造的なもののオンパレードとなる。それは「今の私」が偉いということになる。快感である。
とにかく、筆者の場合は、この方法は、やれば即座に働き者になる。これは確かである。
しかし、問題は「行動記録法」を毎日やろうとしない自分である、ということろにある。ま、いいか。