727話 リラックスとは

今日は、夜、Y氏の演劇公演出演の4人の方々が道場へ来られて「しっかりとリラックスできて、できれば感性に磨きをかけていけるような役者のための訓練メソッドを作ってみよう作戦」の第一回目。


脚であれば「立つ 歩く」、腕や手であれば「手を伸ばして物を取る」という【生存のためのもっとも基本的であろうと考えられる動作】での、骨格と筋肉の自然な振る舞いに沿った気の流れに意識を合わせれば、どうだ!こりもとれるぞ、動きも軽いぞ」を行う。


一般的に「リラックス」と言う時、それは「気分がリラックスしていること」を8割方指しているように感じる筆者である。


寝っ転がってリラックス音楽などをかけて、気分が穏やかになると「リラックスできたわ」と言う。筆者もついこないだまではそう思っていたし、そういうふうに使っていた。

その「リラックスできたはずの体」で首を回すと、みしみしと鳴り、がりがりときしむ。腕を回すと肩がひっかかり、腰を回すとつかえる。いたるところにこりやこわばりが点在している。
コリこわばりというのは、その部分に「緊張せよ、縮め!」という大脳からの指令が出続けている、ということである。ということは「ゆったりした気分になった」のは錯覚で、本当にリラックスできれば、そういった「プチこり、こわばり」というものが消失しているはずである。そうなった状態というのが、真にリラックスできた状態」である、と言える。


ということは、真にリラックスを獲得した場合、首を回せば「連獅子」のごとく、肩を回せば風車のごとく、腰を回せばフラフープのごときなめらかな回転運動が、何の抵抗もなく、軽快に、ここちよく、楽しく現出する状態である。


しかしながら、ひとたびその動きを止めたならば、動かざること山のごとしの安定感と不動体になりうる体のことでもある。


かように考えると、リラックスできた体というものは、ゆったりとのんびりした状態の体ではなく、ものすごくアクティブな心身のことである。


それは点検整備の行き届いた車のような状態であり、アクセルさえ踏めばたちどころに時速200キロにもなる、という潜在能力を秘めて、そこにじっとしている、というようなものがほんまちゃいまっか?と役者の方々に分かったような分からないような言葉を吐きながら、すりすりと「プチこわばり、プチコリ」のない「首・肩・腰・脚、くるんくるんとなめらか体」に調整していく。


6時過ぎに始まった講習には、出演者以外にも泉佐野のO高ちゃんや、製作のS田女史、さらには作・演出のY木氏までが参加し、途中筆者整体のため一時間強の「自習時間」をはさんだ以外は、濃厚に10時前まで繰り広げられたのであった。


さて、9月にはいかなる形で花開くのであろうか。楽しみである。欲張らずにいこう。