766話 独り相撲は楽しい 後編

相手の芯まです〜っと氣が「通らない」かわりに、【作為、邪心、勝ちたい心、倒そうとする力み】でブロックされた氣が、逆流してこちらの体に戻ってきている。


その「氣の流れ」のようなものに意識を合わせると、あら不思議。技をかけているはずの自分の、その時々に閊え(つかえ)ているところにその波・流れ・氣が返し波となってぶつかり、あたかも自分がかけたい技になって返って来て、ひっくり返ってしまうのである。


これは「足払いをしようとしたら、相手がしっかり踏ん張っていて、逆にこちらがこけてしまった」という物理的な感覚の現象ではない。


相手に技がかからないかわりに自分がひっくり返るのであるが、それがみずからの閊えを一気に抜いてしまうようなエネルギー(?)のために、ひっくり返りながらも、きわめて気持ちがいい。


起きあがるたびに、頭部、頸部、肩、背中、腰、という具合に、閊えていたところが順にゆるみ、股関節から足あたりに氣の焦点が来たら、おそらく調整完了なのであろう、いきなり逆襲で技がかかるようになる。


自分で何かを仕掛けて、自分一人じたばたしていることを【ひとりずもう】と言って、揶揄されるが、本日稽古した独り相撲は、実に効果的で気持ちのいい稽古であった。


すばらしきかな、独り相撲!!


ただし、指を持たされているO渕さんは別である。ただ指を持たされていて、相手が勝手に10回ほどひっくり返ったと思ったら、突然自分がひっくり返る。何のことか分からないであろう。


しかし、O渕さんにとっても決して無駄ではないと断言する。


物理的な投げ、崩しの練習であれば、投げられたら痛いし、屈辱的?なり屈服感やら敵愾心やらがともなうであろう。


しかし、【ふっとあらわれるもの】によって行われる技は、投げられ、崩されたはずの体勢が実は統一した体勢になっているので、受け身の苦手なえこまさんでも、痛めずにくるりんと投げられる。だから痛くなくって気持ちいい。当然屈辱感やら屈服感やら敵愾心やらは発生しない。


その上で、【ふっとあらわれるもの】の回路のようなものは着々と通っていく。


やはり独り相撲万歳であり、負けるが勝ちなのである。


上手に崩され、、【ふっとあらわれるもの】によって投げられることは、本当に上達のために必須なのであると確信する。