765話 独り相撲は楽しい 1

武術の稽古。

正座にて両手首を持たせておいて、精妙なる体と気の運用によって、力に頼らず相手を崩し、転がす、というような稽古をする。


というふうに書くと、筆者が【精妙なる体と気の運用によって、力に頼らず相手を崩し、転がす】ということを自由自在にできる境地にあると理解される読者がいるかもしれないが、それは誤解である。


たまにできることがあるが、できないことの方が圧倒的に多いので、たまにできる時に「ふっと現れるもの」を求めて稽古するのである。


わりと成功率の高いもの、再現性が高いものもある。正座同士で、相手の首に腕を軽く巻き付けて、力でぐいぐい倒そうとしても倒れないのを、ふっと「赤ちゃんのような邪心のない、ゆるみきった弾力あふれる手(腕)に瞬時に転換すると、今まで敵対的に力でバランスを取っていたのが、いきなり天真爛漫状態が皮膚から伝わってきて、状況解析不能になって、崩れる、というような技(稽古)である。


この場合、腕を相手の首と肩に巻き付けるように、外側から相手に接触している。



手首を取られるという状況では、その内と外が入れ替わるだけだから、理論上は同じ体と氣の運用で崩れそうなものだが、そうはいかない。


状況が変わると、とたんに赤ちゃんのような天真爛漫にはならず、作為、勝敗、失敗への恐れなど大脳新皮質が活躍し、うまくかからない。崩れてくれない。


7〜8年前に、この技のたいへんうまいかたに稽古をつけていただことがある。この方の場合は、指一本を持たせて、こちらが指に攻撃的に握りしめようとしたとたんに、重心を浮かされ、自由自在に左右に投げ分けられ、畳に転がされた。


そろそろあれができるようになったかな?とO渕さんに指をつかんでもらって稽古する。


やはりうまくいかない。


作為、邪心、勝ちたい心、倒そうとする力み。こういったもので氣が通らず、O渕さんはまったく崩れない。

できないなりに、ひたすら体を素直な状態にもっていくと、あることに気がついた。(つづく)