764話 年に一度の大学の先生 後編

やりやすさの背景には、受講されるみなさま方のありようというものが一番であるが、筆者の授業に挑むスタンスの違いというものもあるように思う。


4年前。

当時は、とっても肩に力が入っていたのであった。授業終了後も肩で「はあ、はあ、はあ、はあ」と息をするがごとくのありさまであった。


その後に丸三年たつと、筆者の個々の技術もそれなりに技量が上がるし、技術のバックボーンとなる理論もまとまってくるし、それらを裏打ちする体験というもの積み重ねも多くなる。


「おっ、オレってなかなかいいこと、凄いことやってんじゃないの」


という自信が深まってくる。


すると、


「90分のクラスで全部分かるほど、薄っぺらいことをやってんじゃねえや」


という意識が生まれ、ひいては


「おじさんをなめるなよ。大人をなめるなよ。だてにお姉さん方よりも20数年もおまんま食ってるわけじゃねえよ」


って、浅田次郎の「天切り松」みたいな気分になるのである。


私が、とってもいいものを伝えようとしているのは間違いない。しかし、それがどの程度伝わるかというと、その責任は私一人にあるわけではない。習う方にだってある。


4年前は、もれなく、くまなく、むらなく、ほどよく、最大限に、全員に情報を伝達し、最低ラインまでは体験、習得させ、その価値を理解させしむるべし!その度合いによって、我が方の存在価値が担保されるのである、というようなスタンスであった。


口数は増え、エネルギーは消耗した。


今回は、そのあたりはまったくやっきになってやる、ということは無かった。早々と手を止めているペアには、「あらら、もったいない」と思いつつも別段督促はしなかった。


説明の語句も過去四年で一番少なかった。巡回して、「これが正しいんやで」というのをちらりと見せる程度である。


にもかかわらず、言われた通りにやるペアも多数あり、それらのペアからは、風車のように肩を回し、膝があごに届かんばかりに足の動きの改善を果たした学生がぞろぞろでてきた。


モデルに調整をかけて、動きが改善すると、拍手までわき起こるのであった。


予定を上回って、着々とカリキュラムは進行したので、9分も余った!


そこで「挙手 先着順 ワンポイント調整」までサービスする2007年の筆者であった。