763話 年に一度の大学の先生 1

今日は一年に一度、Y女子短大の先生として授業を行う日である。


ファッション表現学科の「リラクゼーション論」の連続講座のうち、一回を担当することになっている。


本来の担当はA井先生で、A井人脈の中から『交流分析』の先生やら、「真言宗のお坊さま」やら「癒しのピアノ」の先生やら「アロマ」のゲスト講師が入れ替わり立ち替わり、授業(実習)をほどこすという授業である。


ぴちぴちの女子大生への授業である、「へっへっへ、よろしおまんな」などと短慮するなかれ。


筆者の日常は、好きな人としかおつきあいがない。筆者の好きな人というのは、筆者のことが好きな人である。筆者の活動内容、活動スペースも含めて、好意的であり、信頼感やら期待感やらを持ち、みずからのお金と労力を使ってでも来る、という方だけとのおつきあいである。


非常にストレス・レスな日々である。


しかしながら、女子大のクラスでは、最初からモチベーションの上で問題がある。だってこちらがどういうことをするのか、まったく知らないで参加するのである。講師(私ね)が著名人ででもあれば違うだろうが、自信を持って『無名人』であることは自負する。


グローブを構えている相手とキャッチボールをするのは楽しかろうが、キャッチボールに興味のない相手にボールを投げるのはむなしい。


世の大半の教職に就かれる方々の日々のご苦労を思うと胸が痛む。


このようば文脈で書くと、何かY短大の学生のみなさまがとんでもなくひどいように誤解を与えるかと思うのであるが、そうではない。講師を無視し、学級崩壊を起こしかねないような状況である、なんてことはまったくない。


ただ、ふだんがまったくストレスレスで、少数の方を相手に好きなようにやっているのに比べれば、大人数で初対面というのは、多少ハードルが高いという程度である。


「彼女たちがこの2年で受ける全ての授業の中で、一番きもちよかったかも〜」に持ち込むことを念頭に授業を行う。


4年前の第一回に比べると、年々やりやすくなっていて、今年は過去最高にやりやすかった。これなら来週もやっていいな、と思ったぐらいであった。(つづく)