824話 うまくいかないことの幸せ

神戸の教室に日曜日の特別講座「赤ちゃんの心身を取りもどす」参加の方々が出席であった。


日曜日には、「日常に落とし込んでトレーニングすると、とってもいいからやりましょう、やりなはれ」と、たっぷりとその生活応用法について時間を割いていた。


が、この日神戸に参加のお二人には、その真意は伝わらず、思い出した程度しかやっていないだろうなあ、というのが感じられたので、お節介な筆者は「たとえば、電車の中で座りながらやるっちゅうのは、こういううねりが出て、こういう感覚が生じて、こんなにとっても楽な心身になるっちゅうことでんねん」と手取り足取りやってしまった。


どええええ、っと驚くM橋さんであった。いい状態が得られるというのは疑ってはいなかったが、一桁下の期待しか持っていなかったのである。


筆者20年を越えるヨガを筆頭とする健康指導と体育研究の日々の中で、一番いいんだ、すごいんだと口を酸っぱくして伝えんとしたものは、やはり伝わっていないのである。(技術はちゃんと伝わっています。期待感のレベルとか、思いとかそういう部分ね)


ああ報われない、伝わらないと嘆く筆者であった。


夕方道場でパソコンを開くと、同じく日曜日の講習に参加のS本さんからメールが届いていた。

終日パソコンの前に座っていることの多いS本さん、「これはいい!どこでもできる、いつでもできる」とあらゆる機会に、せっせと実践されているらしい。と受講後まだ3日しかたっていないのに、カチカチだったマウス持つ右手が早くもぽにょぽにょにゆるんできたとの報告である。


人間というのは実に勝手である。「それ」にたどりつくまでに30年という歳月をかけたという思いの我が身としては、「これほど簡単に、効果的に身体のOSを変える方法はなかなかないんだから、せっせとやってね」と力説しておきながら、その通りにやっった人が、たかだか3日ほどで劇的な効果を手に入れたとすると、それはそれで「ええい、もっと苦労せい」という思いがわくのである。


それじゃ私の出る幕ないじゃない、という感じである。


何と勝手なのであろう。相手が言うことを聞かなくっても、聞いても不満なのである。


では、いったいどちらが楽しいのだろうと考えると、やはりうまくいかない方が楽しい。念じたら即座に実現するとしたら、こんなにつまらないことはない。


宝くじを買ったら常に一等が当たり、株を買ったらことごとく上がり、パチンコは座った瞬間から大当たりが連続し、「あっ、べっぴんさんだ」と目を向けた瞬間にとろんとした目で美女がしなだれかかってくるのである。


自分の努力や工夫が功を奏したも何もなく、結果だけが出続けるとしたら、つまらないことこの上ないのである。
なるほどね。うまくいかないから面白いんだ。


大半うまくいかず、たまにちょっとうまくいって達成感を味合わせてくれ、やりたいことがやれている充実感があり、長い目で見たらうまくいっている。こういうラインが最高である。だとすると、筆者は今最高に最高である。ありがたや、ありがたや。