868話 体は足し算でできているか 2

ある集団の中に、突出したものが出現するケースである。その部分が「番長」になって、回りに様々な無理を強いたりいじめたりというようなことが考えられる。また、その部分が「唯一の働き手」となり、回りは全てそこの働きに依存して「ヒモ」状態に陥る、ということも考えられる。


あるいは、集団内のなかで「あいつばっかり目立ちやがって」とすねる部位が出てきたり、無視して協力を拒むというようなことが「人の集まり」ならば容易に起こる。というか、そういうことだらけなのが人の世である。


特定の部位を特定の運動に対して徹底的に鍛え、強化した結果、「鍛えたところと何の関係もない部分」はどうなっているだろうか。


鍛えたところ、および関連が深そうなところの研究は進んでいるであろう。あるいは研究されている方も多かろう。しかし、そこで失われたものを研究されている方は少ないように思える。(本当は『いないだろうと思う』と書きたいが世の中広い)しかし、そこで何が失われたのであるか、ということを真摯に研究することの方が、長い目で価値あるものが見つかるものだと思えるのである。


ちなみに筆者は、「つながりや連携、協力体制を高める方法やトレーニングや調整法」を掘り下げたいので、部分の筋トレの悪影響について、身をもって確かめる気はない。


実際には、筋力トレーニングをせっせとされている方の体を観て、ことごとく「あ、ここにも崩れが」「ここにもアンバランスが」とやっていけばいいのであるが、それもあんまり大人げないような気もするし。


とか言いながら、全身が協力する方向性の筋トレというのも、あるんだろうなあ、とも思っているのである。数年後には「筋トレはいいよ〜」とぬけぬけと言っている筆者かもしれないので、読者のみなさまはくれぐれも油断なさらないように。