873話 『正しい宴会保存会』発足のお誘い
午前中和歌山で整体。大阪に移動するまでに2時間余裕があったので、あさちゃんとまいちんとでダッシュでカラオケに行く。
そこで筆者は、酔っぱらって寝たブートキャンプのビリーが、聞こえて来た大塚愛の「さくらんぼ」を耳にして目覚め、起きてブートキャンプを踊る、という宴会芸を思いついた。必用な衣装や小道具とストーリーおよび協力者の数とキューのタイミングなど主要な部分は全て立案できた。
後は、本物のブートキャンプから「いかにも」の振り・動きを抽出し、音楽と合わせるというステップを踏めば完成する。
ここまで詰めながら、しかし、残念なことにこれを披露する機会がないのである。披露するには「正しい宴会」というものが必用である。
しかしながら、最近は正しい宴会というものがない。
昨今「飲み会」はある。しかし、始まるやいなやせいぜい両隣か最大近隣4名ぐらいでおしゃべりしているグループが人数分出来上がっているだけ、たまにはどの輪からも外れた人もいたりする、という会ばかりである。しかもその話題というのが、その会に関係する話題が出ていることが珍しかったりする。
その会でやっている必然性というのが感じられない。そういう会は出ていて少しも面白くない。
別にその会に関係する話題でなくても、その座が一つになっていれば楽しい。しかし、この
「座が一つになる」というものも見なくなって久しい。
正しい宴会とは、参加者が常に一つの話題に集中している宴会である。誰かの隠し芸を全員で楽しみ、手拍子を打ち、拍手をし、合いの手を入れ、一人が終われば、別の人間が応酬する、という座が一つの「生きた生命体」として機能する宴会である。
参加者のエネルギーが、お互いの存在によって増幅され、そこにアルコール燃料が加わってさらに燃焼し、加速度的に加算されていくのが正しい宴会である。
腹筋がけいれんを起こし、あごが筋肉痛になるぐらいに笑い転げるのが正しい宴会である。
しかし、よく考えてみると、筆者が「正しい宴会」を骨の髄まで味わったのは、大学の1年〜3年、昭和55年〜57年ごろだけだったかもしれない。
58年以後になると「そうでない宴会」が徐々に混じってきていたような気がしてきた。ということは平成になってからは、日本全国で「正しい宴会」が絶滅に向かってまっしぐらに進んでいるのかもしれない。
そうか、『正しい宴会』というのは、淀川水系の「イタセンパラ」のような「絶滅危惧種」なんだ。
しかし、『正しい宴会』は、生物ではなく「無形文化財」であるから、保存は可能だ。
ということで、ためさん、松江のかつのり君や隠岐のともはるちゃん、千葉のI本さんあたりにも設立発起人の一人になってもらって「正しい宴会保存会」を立ち上げよう。参加希望者は、筆者までご連絡下さい。