881話 いろいろ
いよいよ、この土曜日「追憶ノ青いバラ」公演始まります。
稽古はだいぶんといい感じです。
土曜日の夜の部が一番込んでいます。日曜日の午後がその次。日曜日の11時開演の部が、空いているようです。どの時間帯でも行けるわ、という方は、日曜日の午前中をお勧めします。
自然体チューニング、一日講習会。先日の日曜日はおかげさまで好評の一日を終えることができました。次回は10月7日開催です。すでに予約が入り始めています。受講希望の方はお早めに!!
●雑感いろいろ
体を整える時、動きを改善しようとするとき、頭で考えると、頭は自分の都合しか考えない。
相対する物との関係を抜きにしての、調整や動きの改善というものはない。
立つ、という時、自分がどう立つかを工夫する。視点を広げると、立つというのは、地球がその中心に引っ張ろうとする力と、どう釣り合うかという行為である。
せっかくまっすぐに引っ張ってくれているのだから、それにゆだねるところから始めないと、道を間違える。
整体でも、どう相手を押さえるかを工夫するのではなく、相手の体が誘導してくれと言っている方向に誘導する。それができて次がある。
●いろいろ、もひとつ
整体の文献を読むと「観察」ということばとよく出会う。
先日も、あれこれ考えていて「やっぱり観察するレベルを上げなきゃなあ」と思っていて、あらためて「観察」ということばは「観」と「察」でできていることに気づいた。
見るではなくて「観る」。
そこには視覚や目だけに頼らない、全身的な香りがする。体も心も全部遣って感じようとするのが「観」ではないかな。
観劇という時、体に感じる物の度合いが「見物」とは違う。
そういう観の字に注目していて、今度は、今まで「察」を見落としていたことに気づいた。
察するの「察」。表面に現れているものを「観て」、現れていないものを察する。
♪リンゴは何にも言わないけれど、
リンゴ〜の 気持ちぃわ 〜 良く分かる
こうでなくっちゃいけない。
しかし、一方では、人は良くしゃべる。言っていることがホンネかと思うと、そうでもない。そのとき「そうしゃべりたかった」ことが口から出ているだけである。
つい先日「これに(筆者が道場その他でやっていること)かけます!」ときっぱり宣言した人が、数日後「新しい治療法に行きますので、しばらくお休みします」と言ってきた。
別に非難しているわけではない。そういうものだ、ということである。私自身だって、言ったはしから方針転換なんてざらである。
長い目で見て、その方にとって望ましい状態に行き着けることを願うばかりである。