884話 みんながやっても世の中がおかしくならないこと

運動や氣のトレーニング、氣の整体などを日常にしている。


一つの目安は、「世界中の人が身につけてもいいもの」「身につけることが可能なこと」というおおざっぱなラインを設けている。


私にしかできないこと、というのは基本的に採用していない。私にしか分からない、感じられない方法、というのも基本的には採用していない。


解脱とか悟りというような言葉で表現される世界にいまいち触手が向かないのも、そういう背景だからだろう。


その昔、オウム心理教が凶悪犯罪に手を染める前に、出版した本をあさご書店上の島店で立ち読みした記憶がある。


その後犯罪者として逮捕される面々が「正大師」とか「マグマ大師」とかそういう肩書きでオールスターで紙面に登場して、修行者として瞑想体験を語り、それに麻原がコメントする、という体裁の本であった。


「深い瞑想に入ると、6つのドングリのような紫の光が見えた」などとその後の犯罪者(たぶん)幹部信者が語っていた。


「それはまだ駆け出しの段階ぢゃ。まだそれは○○ヨーガーの第三段階にすぎないのぢゃ」などとコメントしていた。


世界中の人が瞑想で光るドングリを感激している世の中が、そんなにいい世の中だとは思わない。


世界中の人が、自分の体の自然性ってどういうことかな、っていう意識を持ち、お互いにニコニコとチューニングしあう世の中はいいと思う。


ちなみに、村上ファンドの親玉が


「お金儲けするのが悪いことですか?」と記者会見で逆質問していた。


悪いことです。(私の判断基準にのっとれば)


世界中の人が、あなたと同じ方法でお金を儲けることをやり出したとたんに、世の中は破綻する。だって、誰も食べ物を作ったり、物を作ったりしなくなるんだもん。お金だけが飛び交い、数週間で全人口が餓死する。