898話 暑く語る

いろいろ


暑い。9月の暑さは、ふつう残暑というのだろうが、昨今のこれは「暑さ本番」であって、「残」の字をあてがうことには抵抗がある。


「残」のつく単語を挙げてみる。


「残雪」 「残念」 「残飯」 


残雪というのは、岩肌、山肌が大幅に露出した後に残っている雪を言う。全山雪で真っ白なのは残雪とは言わない。残念だって、違う方向に考えざるを得ない状況が圧倒的に強力な状況でなおあきらめきれない思いに当てる。残飯は、大半食った残りを言う。


もとの状態よりも大幅小幅に減少した後に付けるのが「残」の字であって、今のように「今日は8月21日です」と言ってもまったく遜色のない状態の気候に「残」を付けてはいけない。


それにしても、秋が楽しみである。



こうも暑いと、これも地球温暖化の影響か、ということになろう。


温暖化に関して「どうして環境問題には嘘がまかりとおるのか 2」を今読んでいる。


タイトルから予想されるように「温暖化を少しでもくい止めるために、一人一人がまず出来ることをやっていきましょう」という本ではない。どちらかと言うと、当たり前として報道されていることの当たり前でない部分を指摘している本である。


読んでみると、しごくまっとうなことがたくさん書いてある。


「この調子で二酸化炭素の排出が続くと、21世紀末には今よりも海面が●メートル上昇して沿岸都市部は壊滅する」というようなことが、大手新聞、テレビなどでも周知徹底・報道されている。


著者は指摘する。


「今のままで石油を使っていて、石油が100年も持たない、ということを何で誰も指摘しないの」


そうなのである。確かに20世紀の後半、筆者が小さいころには21世紀初頭には、石油は枯渇する、というような予測があった。油田の発見技術と採掘技術が発達したため、幸い未だに「あと40年ほどで」が続いている。しかし、石油が枯渇することそのものは自明の理である。したがって、後数十年で、炭酸ガスを出そうと思っても、燃やすものが無くなるのである。


つまり、100年後の数メートルの海面上昇よりも、数十年後には起こる石油エネルギー枯渇の方が人間にとっては重大とは言えまいか。暴論と言えば暴論だが、燃やすものがない時に氷河期を迎えるよりは、温暖化している方がましといえばまし、とも言えまいか。


石油にとって変わるエネルギーをどうしていくか、ということの方がよほど重要なのに、それにはふれられないということのおかしさ。報道が「それ一色 反対論なし 衆議一致」という時、それはかえって、「何かおかしいぞ」という筆者である。(つづく)