949話 無意識さん、体さん、よろしくね

『乗られていても、ちっとも楽しくないので、8人の方々に氣を通した後、固めていた筋肉を一瞬に赤ちゃん化させて吹っ飛ばす。八方に転げる「重し」の方々を見るのは楽しい。』


と昨日書いたが、実は違和感があった。正しくない。


8人に乗られて「うっ、いつも通りではやばい(うまくいかない)かな?」という気がしたのは確かである。そこで念入りに8人に氣を通して(一体化を図ったということになる)・・・後は、実はまったく意識的にはやっていない。気が付いたら終わっていた、というのがホントのところである。


気が付いたら終わっていた、では訳がわからないだろうからと、こういう書き方をしたのであるが、「固めていた筋肉を一瞬に赤ちゃん化させようと」したら、うまくいかないな、という予感があったのは確かである。


8人に氣を通した、というのは対象ならびにこれから体にやってもらう行為を明示した、ということになる。


うまくいったのは、そこでふっと「自意識」がお休みし、「無意識」的運動に瞬間的に入れ替わったからだ、ということが言える。


こういうことを、もっともっと生活全般に活かせれば、いろいろなものがよりうまくいき、色々な練習がもっと実を結ぶだろうと思っている。


今感じるポイントは

●無意識にやるといっても「ぼ〜」と「だらだら」とやる訳ではない。

●今やろうとしていることは何か、ということは明確にする

●五感を働かせ、感覚器における視覚の割合が低下するようにする。
 ただし、五感全体の感度?は上がる必用がある。

●行為を「意識で制御」しない。

●行為をながめるような意識は必用
 楽器の演奏であれば、演奏するよりも聴くが主となる。

●自分が、自分のなしている行為の観客になっているような感じがある。
 力が抜け、いつもより伸びやかに動いている感じがする。


といったことを感じている。