962話 みんな友達

昨日来、肩関節の前部分への自己チューニングを加えたところ、胸肩鎖骨近辺の調子が「すこぶるよろしい」のである。


ホロンの「自然体チューニング」講座で、参加者のみなさまに「肩を組むような感触で手をかけ、昨日来の肩首肋骨のつややかな粘りの少し利いた、透明感のある氣感を伝える」ようにすると、みなさまふにゃふにゃになって幸せそうに崩れていく。


以前の「実にしていた腕をぱっと『虚』に切り替えて、相手が『????』になった瞬間に皮膚と皮膚とをなじませて崩す」というのとは違い、いつかかったかも分からないのに崩れていく、という感じなのである。


こちらとしても、技で崩すというよりも、昨日以来のこの気持ちのいい肋骨胸骨肩甲骨の「つやつやゆるみ」をただ伝えたい、というようなもので、「武術・勝ち負け」という世界とは、そのスタートから少々違う。


その「なんとも言えない、透明感と粘りのあるつややかな氣感」に包まれて帰路につく。


南森町の駅でも、電車の中でも、天下茶屋の駅でも、まわりにいる人がとってもいい人に見える。自分が実にフレンドリーになっているのである。そうすると、そのみなさま方の肩にひょっと腕を乗せれば、ふにゃふにゃと崩れていく、つまり「技がかかりそうな」手応えがとってもあるのである。


【敵意が皆無の時にのみ、発現する武術の技】というわけである。


矛盾してるようだが、どうもそういうものの方が、より自然法則に合致したほんもののような氣がする。


もちろん、筆者にしても初めての感覚で、実際に確かめたわけじゃないから、電車に乗り合わせた方々にもれなく技が通用するかどうかは分からないけれども、「やる前からうまくいくという確信」がなぜかある「突き抜けたゆとり」のようなものは、ものすごく自分を自由自在にしてくれそうだ、というとっても素敵な予感をもたらしてくれたのであった。