967話 目標不達成講座 1
23日に書いたことは、言うなれば「目標達成」とか「願望実現」という言葉で「くくられる」ような内容であろうが、筆者の思いとしては、それは違うのである。
筆者はそうは思ってやってはいないのである。
筆者は、人様の心身の健康にかかわるお仕事である。そして、そのスタンスはもっぱら自らの心・身・生活で実験検証したものを、「これは受講されるみなさまにもおそらく良いに違いない」というものを提供し、やってみた上で微調整するということを繰り返している。
であるから、スタートは自分のニーズである。自分が困っていることを通じて、人様にも使える方法というのを日々研究しているのである。
筆者は「目標達成」や「願望実現」に困っていない。その方面のニーズが無いのである。
ここで誤解してはいけない。筆者がそういうメソッドに頼る必用もないぐらいことごとく「目標達成」し、あらゆる「願望を実現している」かと言えばまったくそうではない。
まったくもって「ぞれ以前」の存在である。筆者は、筆者自身に対して「怠けものである」という自覚だけはしっかりある。
筆者が困っているのは「筆者が怠けものだ」ということである。
筆者の脳細胞には「まったく努力をしないで目標達成する」とか「なんら行動することなく願望を実現する」ということは「断じて期待してはいけない」ということだけは刻まれている。
したがって、筆者は、筆者のかかえる「筆者は怠けもの」という状況を改善することなく、高い目標達成も見事な願望実現もない、と思っている。
筆者にとってのニーズは「怠けものである筆者が『まし』」になる方法である。
『まし』になることによって、日々の「充実感」「充足感」「満足感」が上向くことが楽しいのである。
そして、立てた目標以外、想定外でもたらされた「よきもの」との偶然の出会いを楽しむのである。なんせ、この手法はもともと立てた目標に近づくと、その「効力」にかげりがでるので、目標の上方修正を迫られる。ゆえに「絶対に達成できない」目標なので、「達成感が好き」で「努力ができる」という人にはまったく不向きである。(つづく)