979話 あいつら、すごい

八木氏から

【フィリップ・ジャンティ・カンパニー『世界の涯て』を観にいくべし!】


のお勧めメールが再度来た。八木氏とは、この冬以後も、演技者のための体づくり感性づくり、表現力養成のメソッドや場づくりなどを進めていこうということになっているので、芝居には素人の筆者に、お勧めメールが来るのは分かる。


しかし、一作品に二回お誘いが来るというのは、なかなかに意味深い。


筆者は、そこに八木氏の


「あのね、まあ、これって外国ものだし、ダンス中心と言えばダンス中心でセリフはほぼないし、マジックが入ってたり、巨大なビニールの袋なんかを使った造形というか『不思議空間』というか、そういったものがちりばめられていて、いわゆるセリフ劇とは一線を画するんだけんども、やっぱりね、そういうね、そういったいわゆる一つの、世界レベルっていうかね、こういうレベルのものが舞台表現のね、いわゆる一つの『目指すレベル』っていうことでね、お互いに同じものを観てね、そういうものを一致させるってことがね、これからを考える時に非常に重要になるって考えている訳でね。」


「だからまあ、芝居に7500円という入場料も高いと言えば高いけれども、まあ『北島三郎特別講演S席』とか、『松平健 松健サンバを踊る 特別歌謡ショーSS席』なんてものだって、それかそれ以上の値段はするんだし、今回のこの作品から触発されるものの大きさや密度やインパクトってものを換算すれば、それは決して高いものではないとおもうんでやんすよ。」


「でね、目指すものの中身っていうのはね、それこそこれから創り上げるわけでね、その当たりのところは別に現時点で一致している必用は必ずしもないってことなわけですよ。その時点で集まる人、使える場所、使える時間、費用、そういう条件の中でベストを探すってことになるわけだから。でもね、目指すレベルというのかね、そういうものが一致しているっていうことは、それはとっても可能性を広げることにつながるって思うわけです。」


「言い方を変えるとね、腰の入れ方っていうか、本気の密度っていうか、そういうものが一致するってことになるから、ということは、またそのレベルに共鳴する人が集まってくるっていうことにもつながってくると思うし、また焦らずに腰を据えてやれるってことや、目先のことで一喜一憂しないってことにもつながるし」


「ってことで四の五の言わずに観にいかんかい」


という言外(メール文言外)のメッセージを受け取った筆者は、梅田のシアタードラマシティへと出かけたのであった。


・・・・で


終わった。

拍手の鳴りやまない客席であった。で「ブラボー」の声がかかり、スタンディングオベーションにはならなかったが、腕を舞台の方にぐっと突き出して俳優ダンサーたちに「拍手を捧げる」ようにして、感動を伝えようとしている人がたくさんいた。


が、筆者は「ぱちぱちぱちぱち」とは拍手できなかった。

「ばしん」

「ばしん」

「ばしん」

「ばしん」


「ばしん」


と、他の人が3回から4回たたく間に一回しか打てなかった。腕なんかは気安く前に伸びるもんじゃなかった。相手への賞賛なんて気安くできない。そういう種類の感動であった。感動っていっちゃうとまた違うんだけど。

一発一発を自らの腹に響くような拍手。拍手というよりは、なんだろう、とにかくぱちぱちはできない。でないと、その時の身体意識とは釣り合わなかったのであろう。


見事な舞台であった。楽しませる舞台であった。魅せる舞台であった。が、終わるまで「ここまでからだに来ている」とは思わなかった。


筋書きがあってセリフがあれば、笑いの量やら号泣の質で感動している、ということは途中でも分かる。しかし、この舞台は筋はあってないようなものだし、くすぐりは随所にあるが、爆笑を求めるものではない。よって唐突に終わり、気づいたら相当なプラスのダメージを受けていたのである。それから当分の間、一つのフレーズが頭の中にエンドレスでくり返されていた。


「あついら、すごいわ」