978話 尾骨の気持ち

昨日の続きである。

自然体チューニングは未だ発展中で、確定したものではない。


それは主として腕や足など「末端の力み抜き」から始まったため、「背骨そのものとどう付き合うか」ということは未解決のままで今日に至っているのである。


四肢末端からのアプローチでこれだけ調子が良くなるんだから、中心中の中心である脊椎・脊柱などは、あだやおろそかなアプローチでは勿体ない。きっとそれだけのものがあるに違いないと、日夜意識しつつある今日この頃なのである。


で、ある日、あらためて脊椎および骨盤原寸大模型をじっとながめていた筆者であった。


注目したのは仙腸関節。骨盤と脊椎のジョイント部分である。


背骨の長さというのは、肛門の上から後頭部までである。その長さの棒を想像してほしい。そしてその棒の下から手のひら半分ぐらいの位置にあるのが仙腸関節部分である。仙椎部が平べったい感じがあるので、脊柱は、骨盤にしっかりと埋め込まれているような感覚があったが、大間違いである。腸骨とジョイントしている部分はほんの数センチしかない。


ここに上半身のすべての重量がかかるのである。


筆者は、ここで仙骨ならびに腸骨の立場になってみた。けなげである。なんともけなげである。上半身の全重量ならびに、地面からの反発の重量を、このほんの数センチの関節が受け止めている。


ここでさらに骨ならびに腸骨の気持ちになってみた。


腸骨は、心の底から全身全霊で、仙骨を「はさみたい!」と思っているのが感じられた。仙骨は腸骨に全身全霊で「はさまれたい!」と思っているのが感じられた。


想像していただきたい。


目の前に80センチほどの棒がある。その下部10センチぐらいの部分を手のひらではさんでまっすぐに立てるとする。手のひらではさみはするけれど、実際に棒に押し付ける手のひらの部分は数センチしか許されていない。


しかも、棒の上の部分には軽く見積もっても30キロ以上の重量をぶら下げているのである。


思わず両手でがっしりと棒の部分を握りたくなるであろうが、構造上骨盤は仙骨を握ってはいない。はさんでいるだけである。


ここではさまれる仙椎側に目を転じよう。腸骨がしっかりとはさんでくれなかったら、実際はそうはならないけれども、構造を見る限り、またぐらに向かって背骨は落ちてしまうのである。

私が仙椎ならば、せめて腸骨に負担をかけないように立とうと思う。「まっすぐにするぐらいしか私にはできないけれど、腸子さんごめんね」というふうになるであろう。


「ううん、いいのよ仙吉さん、しっかりとはさんでいるからね」という具合になるであろう。


この「腸子 仙吉」の関係に気づき、その視点で椎骨を改めてみてみた。できうる限り腸骨へと負担にならないようにするにはどうするべきかと。


すると、繰り返しになるけれども、背骨はできうるかぎりまっすぐにバランスよく立っていてほしいということになる。一点のみをはさまれた棒を、合理的にバランスを取るにはどうしたら良いか、ということになる。


すると、どうしても背骨本体に意識がいくけれども、脊柱を仙腸関節をてこにしたシーソーと考えれば、仙腸関節より下の部分のほんの少しの位置移動が、それよりも上部に多大な影響を及ぼす構造になっていることがわかる。


というような視点および考察からも、尾骨には前々から目をつけておったのですよ。