991話 昨日の感想(きわめて私的)

「ゆーじくん」と「ちかちゃん」向けに感想を書いたのだけれども、筆者のパソコンは今自宅からメールが送れないという不幸な状態なので、ブログにアップします。

(文末に公演案内載せました)


////////////////////////////////////////////////



芝居は開演に遅れて観るものじゃないね。


ちょっと呼吸を整えて、パンフレットを観る時間などがあれば、五役に挑戦下原ゆーじ、などということが分かって、またオープニングも観ていないので、オムニバスのように展開する芝居だと分かっておらず、(オープニングでそれらの「しかけ」にスムーズに入っていけるようなものになっていたかどうかは分からないけど)一貫した流れを頭の方に作ろうとしていて、なかなか入り込めなかった。


下原くんには小屋の外で言ったけれど、そういう「見損ねた部分を補うように頭の中に流れをつくって」という意識が消えたのが、コックさんの宮様オムレツのたまご欲しいの話のあたり。


あそこ以後はしっかりと「今目の前で展開している話をそのままずっぽり」という風に楽しめていました。


とは言うものの、ふと思い出したのが、高校生のころにテレビで観た映画「ピーターオトゥール主演」の「ラマンチャの男」を観たときのこと。


なんのきなしに見始めたのが10時前頃(9時に始まった映画ね)で、後半一時間ほどしかみてないし、現実と虚構の区別が付かないで錯乱した男・ドンキホーテの話だから、部分的に観たら訳が分からないという可能性で言えば今回の作品の比ではない。


でも、前半の筋立てがまったく分からないにもかかわらず、ラストは号泣していた。


いい作品なら、途中から観てもやっぱりいいんだと思う。


ということで、やはり五役に挑戦の下原に厳しく言うなら(二役の大浦にも)、やはり、ホントにキャラが立っていたら、もっと「そういうふうに作っている作品だ」ということが自然に分かってもしかるべきだったかもしれないね。


まだまだ修業が足りん!(笑)

といっても、二人ともあの中ではがんばっていた方だとは認める。前半の部分で少なくとも大浦は、唯一客席を含めた空間に氣を届かせた状態の芝居をしていたし、下原君は、前よりは体を多様に使えるようにはなってきていたとは思う。(単調ではなくなったという程度なのでうぬぼれないように。)


でも見終わって全体の話(脚本)が分かった状態で採点すれば、65点かなあ。(作品全体の持つ可能性から逆算でね)


あの話なら、まだまだ魅せる芝居にできるでしょう。場面場面が、ホントに色々な人の人生の断面をすぱっ、すぱっと切り取ってぱーん、と並べるというか、突きつけるような展開がもっと迫ってくれば、もっともっと感動的な作品にできると思う。


もちろん、大学の授業公演だから、学生間でも意識の差や経験の差はけっこうあるだろうから、そんなに高望みをしてもいけないかもしれないけれど。


いやいや、やっぱり高望みして欲しい。


まだまだ本に負けている。


青いバラ」の場合、立場上読まないわけにはいかないので、「ガラスの動物園」を読んだけれども、いかにすぐれた脚本だとて、翻訳ものでもあるし、ざ〜っと読んだだけじゃたいして面白い話ではなかった。


でも舞台になったら、面白かった。(君たちのことだよ)つまりそれは「ライブで観る値打ちが出た」ということでしょう。


厳しく言えば、今回の芝居の「出来」は、「原作を読んだらもっと面白いかもしれない」とまだまだ思わせているレベルだということか。


というぐあいに、おもいつくまま書いてみて、やはり芝居は、「氣」の芸術だという思いを強くする津田でした。


先日八木さんおすすめの「フィリップ・ジャンティ」の公演を観て、最後終わってから無理無理に拍手をした、ということをブログに書いた。この話を整体仲間にしたら、彼の武術の師匠(日野晃先生といって、私なんかのとっくに先を行かれる達人です)は「終わって拍手が出るなんてのはまだまだだ」と別のアーチストの話が出た際に言われていたそうです。


確かに、フィリップ・ジャンティは、終わって拍手できる状態ではなかった。無理無理にしたけれど、その話を聞いて「確かに拍手しないことが、もっともその時の自分に合っていた」ということを理解した。


無理に作品を難解にする必用はないのだけれど、顕在意識で理解不能な大量な情報が流れ込んできたのが後になって分かる。訳分からないのに、その日を境に、稽古の量は倍には増えて「世界標準の実力を持つ整体・体育・武術の研究実践家になるべし」という意識に変換されてしまった。


ま、日本語のお芝居にはもっと別の側面もあるだろうし、芝居の方向性も色々だけれども、できれば、「ライブならではの圧倒的な無意識にたいする影響力」が演じ手や演出家の意図を越えて観客(そして演ずる者にも)舞い降りてくるようなものをやって欲しいと思う。というか、「演劇ってそこまでやらなきゃ演劇じゃないわ」というような意識が「その世界をやろうとする人たち」にどどどどどど〜っと吹き出していて欲しいなあと思う。


さて、ここまで一気に書いて、パンフレットの袋とじを開いて読みました。観ただけでは分からなかった部分や、ごちゃごちゃになっていた部分が、じっくりと追いかけて整理できて、私にとってはとても良かったと思います。


あ、12月30日に「衝撃の和歌山ラーメン」と「川原でたき火と焼き芋」と「酒蔵温泉」の『スーパー極楽温泉ツアー』やるけど、来ない?

これ以上太るわけにはいかない?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



■「明日 1945年8月8日長崎」

     それぞれの想いを胸に人々は
      その日を生きた
      それぞれの明日の為に
        あるはずの「明日」の為に

舞台芸術専攻2回生「舞台発表演習B・舞台表現演習B」発表公演

□原作:井上光晴 / 脚色:小松幹生 / 演出:堀江ひろゆき

 ◇日時:12月20日(木) 19:00〜
         21日(金) 19:00〜   
         22日(水) 13:00〜 / 17:00〜
            開場は開演の30分前です

 ◇場所:近畿大学東大阪キャンパス(Eキャンパス)アート館  →アクセス

 ◇入場無料

 ◇お問い合わせ:09082317921(制作)