992話 おそうじという名のトレーニング
えこまさんが、筆者の「町内のお掃除」に関して、ブログに書かれている。
えこまさんは、それを「修業」と表現されている。これはいささかニュアンスが違う。筆者は「トレーニング」として「ほうきの素振り」をやっているのである。
筆者が最近いさかか「ものにしつつあるかな?」という「統一体」だとか「フレンドリーな水飴体」だとか「一体化する」などの状態が、「あんまり気持ちいい」し、武術や整体に恩恵をこうむること多大なものがあるので、せっせと練習している。
体がそうなったつもりでも日常生活の中で使えなければ、活かすことができなければ、筆者にとってはあまり意味がない。
特に何の作業やら仕事をするわけではない「歩行時」に、せっせと「千ストローク」などをやって「風呂上がりのようにさっぱりさわやか こりこわばりありまへん」になると威張っていても、日常で何かを始めたとたんに「目は血走る、肩は力む、背中はこわばる、膝は笑う」ということになると、これでは畳水練。人様に自信を持ってお勧めすることは出来ない。
これは筆者の精神衛生上、ならびに営業戦略上問題である。
そこで、日常生活におびただしくある「道具を使っている状態」でも、「終わってさわやか風呂上がりの軽快さ」に至るという道筋を自らの中から掘り出す必用がある。
現状の「体と感覚育て」の基本になっている感覚は「徹底してりきみが抜けた状態で何かをしようとすることで、りきむとそれは質が低下している、力まないでやろうとしてこそ、体が望む質のいい動きだろう」というものをよりどころにしている。
ここで日本刀のような「重たいし、ぶれると分かるし、力むともたない」というような「ハードルの高いもの」を選んで稽古する、という選択肢も考えられる。
しかし、やはり重いのは嫌だ。
できれば軽くて動きが単純なものがいい。
ということで、ほうきは軽いし、実益もあるからお掃除しているのである。