1024話 バッティングのこと 視力のこと

先週に味をしめてまた『バッティングセンター』へと行った。


前回は「4ゲーム ほとんどからっきしだめ」の後5ゲーム〜8ゲームまでが「我が人生で最も絶好調」であった、とご報告した。


今回は最初の20球で3本外野へ飛んだ。毎回増えて、5ゲーム目に6本がネットまで飛び、ヒット性のライナーが2本。合計8本の「快適感覚」であった。


ここで筆者は重大なミスを犯した。

バッティングセンター、中速マシーンの20打数8安打で空振りなし(ファールはあります)というのは、筆者の人生の中でも極め付きに『好成績』なのである。


ここで「自我意識」がむくむくと顔をもたげたのであった。「欲が出た」とも言う。


筆者の身体は「これにて一件落着」と申しておった。が、自我意識は「ここでもう一丁」と言うのである。

無心にやったからできたことを、欲で続けようとしているのである。結果はやる前から分かっていた。散々であった。

前に「尺八一週間禁止令」のことを書いたが、あれをすればよかった。


筆者は、筆者が常日頃研究し、指導させて頂いてる中身の検証として「結果を残す」ためにやってているのであっって、「その瞬間の自我意識の満足」のためにやっているのではなかった。


まあ、常日頃道場に来られるみなさんへの「うまくいったら、即、そこでやめ、断固やめ!」が正しかったことを(証明したくなかったけど)証明した、という意味はある。




視力は以前好調である。試視力表がないので、正確なポイントアップは分からないけれど、「ぼやけていたものが、ややくっきり見え始める」時間が、一分、二分と増えてきて、一昨日が5分。昨日が6分。今日は20分以上「一月前半のぼやけた視界」ではなく「なかなか見えているではないの」という時間が続いた。


そうやって「やや見え」を維持していると、そのなかで「さらにはっきりくっきりピントが合う」瞬間が訪れる。快感である。


しかし、見える見方をしていると、今までいかに「なんとなくぼんやりと見ていた」ことに気づく。


「一点を集中して見ながらも、視野・視界を広く保つことで、身体の力みを取る」という方法を実践しているといことは道場でも会員のみなさんにご報告済みだが、聞くだけに終わらせる人とさっそくやる人の差が出ている。


K藤さんは、きわめて視力が悪い。のが先週「朝から何これ、どうしちゃったの、明るいわよ、見えるわよ」の瞬間が訪れ、今週はめがねで道場に来られている。


1.2程度に合わせていたコンタクトが「見えすぎて目がつらい」のだそうである。