1027話 恋する身体のメカニズム
話は前後するが、授業終了後、D井さんやI倉さんが「恋する身体の体験がしたいので、お願いしますっ!」とやってくる。授業中のローラ役4名の様変わりや、Mちゃんが、調整されたとたんに「目の中に星がきらきら (☆_☆)」になる様を見て、「ぜひ一度体験しておかねば」と思ったらしい。
その意気やよし。
さっそく「恋する乙女」の身体にすると、目がきらきらし、恋愛オーラを発し、確かに「それっぽい」雰囲気が匂い立つのである。
それを「失恋して失意の心身」に転換してどん底に突き落とした後、浮上要求がわいたところで再度、「恋する乙女」に戻すと、いっそう変化は顕著になる。
ついでに「上がっている時のようなドキドキの心身の状態」を加える。
これは何かおわかりだろうか。
バレンタインデーも来月に迫っているが、【恋する+ドキドキ・バクバク】、つまり「本命の彼に告白前」の心身状況の表出である。
表現することに意欲の強い「芸能学科」の彼女たちであるから、変化の度合いや程度はなかなかに深いものがある。
ジムとローラーの「ときめき場面」でも、S井さんを「恋する身体」にチューニングの後の演技を見たI倉嬢は、「チューニング後の彼女を見て「どきどきしちゃったぁ」のである。
ちなみに筆者は、後に立って椎骨の操作をしているので、リアルタイムでそれらの変化を目にすることができない。向かい合って興味津々で見守る級友たちギャラリー組がそれをみて感嘆するのである。
かかる反応を見て、筆者は一つのプランを思いついた。
【鶏は卵の殻が割れた時に目の前にいるものを親と思いこむ現象を利用して、恋心を抱かせる作戦】
である。
プランはこうである。
前記した「恋→失恋→恋→告白」の一連を味わう際には、目の前にいるのは複数のギャラリーである。視界に主として複数の同性が入るので、「恋の対象」は「架空の誰か」か「相手のない恋」である。
そこで、閉眼してもらって上記「→」を展開する。目を閉じることで身体感覚は高まり、より強烈に「ときめき」を感じることであろう。しかし目を閉じている。さすれば、「思いっきりときめいた」状態に追い込まれた彼女は、強烈に「告白の対象」を欲するであろう。
そこまで深〜く完全に進んだ段階で、前に回り込み、にっこりとほほえむのである。そこでおもむろに、目を開けさせるのである。
すると、「告白寸前」の彼女は、『鶏は卵の殻が割れた時に目の前にいるものを親と思いこむ現象』により、「私はこの人に対してときめいているのだわ」と錯覚を起こす。
おもわず「なんかよく訳がわからないんですが、たぶんきっとおそらくあなたを愛してます!」と目の中に山盛りの星をきらめかせて告白してしまうのである。
り返すが、これは感覚異常である。錯覚である。しかし、偉大なる内田老師もご指摘のごとく、『恋』というのは、人類の種の保存要求によって目くらましされた「美しく幸福な誤解」である。
その偉大なる力は「ぶあいそ」を「寡黙で素敵♪」に変え、「太りすぎ」を「グラマー」に変換し、「痩せすぎ」を「スリムでいいなあ」へといざない、「何考えとるんかわかなん女」」を「謎めいた美女」へと誤解させる。
この偉大なる「誤解の力」によって、人類は種として生きながらえ、結婚を希望する人々はなんとなくばらけて相手を見つけるのである。
薬物も恫喝もなんら非合法的な手段を用いずして、札束でほほを張ることもなく、きわめて短時間にモテモテである。
という方法を仮定してみたが、このプランの根幹をなす
【鶏は卵の殻が割れた時に目の前にいるものを親と思いこむ現象】
の類似現象が人間に起こるかどうか、というのは筆者が「たぶんいけるんじゃない?」と思っているだけなので、学術的裏付けは知らない。
冗談はさておき、心と体はかくも密接である、ということはぜひぜひ学生諸君にご理解頂きたいと思うのである。