1058話 Y田くんの「その後」

Y田くんの「それから」


ヒントは、人混みの中で、すれ違う直前に「おお、見目麗しく、とっても好み!」という異性に筆者の身体が反応してしまった際に、とっさに生じる反応にある。


というものが、高速サーブに対応する「秘策になるのぢゃ」という話である。


そしてそれは、その昔、今よりもず〜っと強かった読売ジャイアンツが9連覇したおりの監督、川上哲治氏の「全盛期には、ボールが止まって見えた」にもつながるものである。(たぶん)


さて、見目麗しき女性とのすれ違いの際に、もうすれ違う寸前に「わ〜、めちゃめちゃ好みのべっぴんさんや!!」と我が身体が(私ではない、我が身体と申すか無意識と申すかがである)反応したとしよう。


こちらの顔は前を向いていても、内面はきっちり彼女の方を向く。そして少しでも長くご尊顔を拝したいと思うのは人情であり、条件反射である。これは責めてはいけない。


もしも社会通念上、それが許されるならばとっさに後歩きをして彼女と同じ速度で歩くことは間違いない。そうすればきっちりとご尊顔を拝することができる。


しかし、露骨にそれができるのはイタリア人ぐらいなもんで(ってこの言説に根拠はありません、なんとなくそうじゃないかなって程度の意味です)大半の人はそういう露骨なことはしたくってもせずに、歩みの速度を変えずにすれ違うのである。


にもかかわらず、筆者は一瞬静止画像で彼女の顔を視界にとらえるのである。しょっちゅうではないが、けっこうそういう経験はある。ある以上は分析し、明日の武術・スポーツ界のために役立てねばならない。


以上の高貴な使命感のもとに、分析を進めるものである。


そのためのとっさの身体操作、心理操作、内面操作、感覚器操作を観察すると、歩きながらもすれ違うべっぴんさんの歩む方向に、彼女と同じ速度で意識を移動させるのである。


実際には違うが、幽体離脱した内面がぱっとバックするのである。意識だけがその場にとどまるようなイメージと言っても近いと思う。すると、それまでのすれ違いのスピードではとらえきれないはずの彼女の顔が判別・識別・認識できるのである。


一瞬止まって見えるのである。(判別した瞬間、想像していたお顔とは違うことが圧倒的に多いのだが)


この現象を説明する筆者の仮説はこうである。


すれ違う彼女の顔は、急速に視野の中で大きくなり、通常は識別困難である。しかし、とっさに「その場にとどまる」「急速にバックする」という意識操作をすると、その瞬間視野が拡大するのである。


すると、本来大きくなるはずの彼女の顔が、拡大する視野における顔の締める面積の度合いが小さくなる。アップになる顔の画像に対してスクリーンの大きさが同時に拡大するのである。


アップになる速度と、スクリーンを拡大する速度の差が少なくなるほど、その画像は鮮明に識別される。脳がそう処理してくれるようである。


かかる現象をもとに、筆者はバッティングセンターで、この「すれ違いざまの彼女の顔をちらりと見る作戦」で飛んでくるボールを、内面をバックさせながら待つのである。すると「打ちにいく」場合と比べると格段にボールが見やすくなる。


打ちに行くと、交感神経は興奮し、視野は狭窄する。すると「彼女の顔を見る現象」とは逆に小さくなるスクリーンの中でボールはアップになる。


すると、実際の急速よりも脳は「速い速度」と誤解する。


筆者が「打ちに行く」と、そのバットは空を切り、ぎりぎりまでバックして迎え入れるとヒットするのはそういう現象に裏付けられたものであろうと思う。


空振りをしている選手に


「もっとボールをよく見ろ」


と叱責するのは、よけいにボールを見えなくしていることを指導者は知るべきである


表面と結果だけを見ているとそうなる


その「すれ違い時に内面をバックさせる速度」と「飛んでくるボールの速度」が近くなるほど、体感するボールの速度は遅くなる。理論上は限りなく速度ゼロに近づけることができる。


川上哲治氏には、このような状況が意図せずに生まれたのではないかと思われる。


もともと、「すれ違いべっぴんさんの識別法」からこの方法に思い至ったのではない。


時速100キロのボールを時速100キロで打つからたいへんなのだ。もしもピッチングマシンを軽トラの荷台に載せ、時速100キロで走り去るところからこちらにボールを打ちだしてもらえば、見かけ上は速度0のボールになる。


速度100キロのボールを打つのはたいへんだけど、止まっているボールを打つならもっと簡単なので、どうすればピッチャーが後に吹っ飛びながら投げてくれるかと考えた。


しかし、ピッチングマシンは動きそうもないので、ならば自分が飛んでくるボールの速度でバックすればいいんだ、と思った次第。


しかし、これも物理的には無理なので、意識だけでも後に飛ばすことにしたらそうなった。


やってみたら球速が遅く感じられ、ミートの率も上がったので採用し、筆者もなかなかいいことを考えるわいと思っていたら、べっぴんさんとすれ違う時に実はとっくにやっていたことに気づいたという次第である。


それで、話題はY田くんである。


さっそく実行する素直な上下型1種である。


結果としてうまくいかなかった。しかしそのコメントやおそるべしである。


「ボールが遅く見えすぎてつんのめった」


というのである。


そこで、視覚的には高速バック、身体的には高速前進という二方向同時意識操作をすることによって


「ずいぶんと楽にサーブが返せる」


ようになったという。


めでたし、めでたし。


んが、


こうやって「確かにできる」ことや場面が明確になるほど、「できないこと」や「使えない場面」がはっきりとしてくるのである。


今は「できていく楽しさ」で、次は「できないけど楽しい」がやって来るのである。


楽しさは尽きないぜ。