1066話 レコードダイエットは失敗したが

この3週間ほどで体重が3.5キロから最大4キロほど減った。引き締まった。


およそ62キロぐらいが軽快で、それがここ一年63キロほどになっていた。それが昨年後半からじわじわ増えていき、年末から今年にかけて重いときには67キロまで行っていた。


亡父はダンディであったが、40歳台半ばから腹部のみふくれてきて、服を着ればおしゃれであるが、風呂上がりはたるんでいるぜ、という体型であった。


DNAにはあらがえないのか、息子の筆者も親父にもらった遺伝子の設計図の通りにこのまま40台半ばを過ぎて自動的にたるんだ腹の方へ進むのかと思った筆者であった。


なんせ、晩年の親父がはいていたジーンズが、もらったときはぶかぶかだったのが、昨年は悲しくもぴったりなのだ。


以前にブログにも書いたが、一日の行動予定を書くよりも、やったことをやるたびに片っ端から書いた方が一日がたるまないで充実する、ということは時々実践して効果を実感していた筆者であった。


ゆえに昨今話題の「レコードダイエット」なる手法は、経験上とっても納得がいったので、それを使ってたるんだ腹を引っ込めようと考えたのが1月3日。


以来ほぼ1月23日まで、ダイアリーの右側には書いたものをひたすら記録していった。



ほんとのレコードダイエットは食べたものとカロリーを同時に書いて、基礎代謝のカロリーまでで押さえるという意識を持つという手法らしいが、筆者は食べ物のカロリーは知らないので、たんに筆者のダイアリーが「あまから手帳」になって、「食ったもの日記」になっただけだった。

日々の分析研究努力精進の気づきが埋めるはずのダイアリーには


「なっとう、ご飯一膳、のりバター、豆腐の味噌汁一杯、高菜の漬物少々 カジャナのチキンカレーサラダつき」などの文言が埋め尽くしたのであった。


1月一杯は体重は67キロであった。レコードダイエットは効果があるのだろうが、食べたもの日記ダイエットはうまくいかなかった。効果がないので1月23日でぱったりと食い物記録は途絶えた。


2月の10日の日曜日にひろきとホームセンターへ買い物に行った際、発作的に体重計を買ったが、その際には、まだ66〜67キロであった。


ダイアリーの2月11日に「10種体癖、ことごとく前後2歩の歩みの中にあり!」と書いてある。


このあたりを転機に、ダイアリーの右側は実践結果と発見や気づき、記録で真っ黒になっている。『あまから手帳』がちゃんと『和の体育と整体研究家』の手帳になった。


そういうことが書きたいのではなかった。


歩みの中に体運動ことごとく含まれり!ということで自分の体癖に合わせた歩みを実践していたのがこのあたりからだ、ということが書きたかったのだった。


筆者の前後型5種の場合は、閉9種と上下1種という「前」と「後」に前後6種という「裏」を合わせた対応ラインを意識して歩く。


いわゆる骨盤を締めながら、のびのびと歩くという組み合わせである。


そしたら、3週間もたったら3キロから3.5キロほど体重が戻っていた、ということである。


なるほどね。


「強制的に手技で骨盤を締めてダイエット」というのは「いかがなものか」と思うが、調子よくなるような歩行が骨盤を締める刺激になっていて、排泄も促進され結果的に締まりが出て、気がついたら体重まで落ちていたというのは理想であろう。


親父のDNAの呪縛から解き放たれた筆者であった。


55歳で早期の定年退職をした親父は、少し働きながらではあったが「余生」に入っていた。筆者は4月で47歳だから親父の「余生突入年齢」まではわずか8年。


55歳で「余勢をかって」突っ走っていることはありそうだが、余生に入っていることは確実にないと断言できる63キロの筆者であった。20台の体重まであと1キロだぜい。