1100話 意識が身体を動かすという錯覚

 
京都のI 崎さんが「これは参考になるのではないですか?」とご持参下さったのが、毎日新聞の10月6日の朝刊らしき書評のコピー。


『ユーザー イリュージョン』 

    Tノーレットランダーシュ著


人間が自発的な行為を実行しようとする意図を意識するのは、脳が行動を実行し始めてから0.5秒後である。指を曲げるような動作をするとき、意識は時間差をおいてその意図を知る。にもかかわらず、意識はみずから身体に行動するように指示した、と錯覚している。


これは恐ろしい指摘である。まことに恐ろしい指摘である。(って歓迎してるんだけど)



つまり、自分が意識的にしている動作というのは、実は「あてになりまへんで、けっこう嘘でっせ」ということを言っているのである。


誰にとっても重大な指摘であるが、特にスポーツ選手、コーチ、教育関係者にとっては衝撃の事実なのである。


なぜなら、スポーツの練習、勉強などは徹底して「意識的にやる」「意識的にある動作をくり返すことで、いつしかそれは無意識に、かつ上手に、または正しく、または効率よくできるようになる」ということを「疑うことなき自然の摂理」のような前提として成り立っている場合がほとんどであるからである。


つまり、「意識的にやった、と思っている行為は、実は身体が先にはじめた行為を、後からあたかも自分が意識的にやったと記憶の偽装工作を行い、それを当人が自分でやったと信じているだけだ」ということになるからである。


筆者はこれを「馬鹿社長現象(馬鹿社長理論)と名付けた。


つまり、現代人が後生大事に思っている【自分】という概念は、あたかも部下が懸命に現場へ出て、顧客と接して成果を上げて、その報告を聞いた瞬間に、あたかもその部下の活動は、自分が指示し、指導した結果だというでっち上げの記憶を作るというとんでもない社長のようなものだ、という意味である。


つまり、ものごとを上達するための方法、習得するための方法というものの前提になっている考え方が、根底からくつがえっているのである。



なぜ感覚器官がとらえた情報は直接経験しないのか。本書によると、人間の情報処理能力に原因があるという。目、鼻、耳や皮膚から毎秒1100万ビットの情報が入りながら、意識が処理できる量は毎秒わずか40ビットだけである。
しかも、多くの場合はその半分ほどしかない。

毎秒得ている全ての情報は、意識が一秒ごとに処理できる量の36000倍にあたるというのである。一秒の情報を全て認識しようとすると、なんと76時間以上かかるというのである。


身体と同時性を保つためには大半の情報が捨てられている。また、0.5秒の遅れを隠すためには、あたかも刺激の直後に自覚したように、時間をさかのぼって調整が行われ、主観的にはリアルタイムで世界を経験しているように感じている。

・・・・それよりも、自己意識はかならずしも行動を決定しないという実験結果の方が遙かに意味深長である。

実に楽しい指摘である。

筆者は、意識的にやったにもかかわらず、たいして上達し習得できなかったという大量の経験を持っているからである。


もっともっと意識的に大量にやれ、というのが間違いだということである。


ということは、今まで以上に容易に習得でき、上達できる方法があってもおかしくないという「朗報」なのである。(おそらく続く)