1119話 あるから出てくるが、出せなきゃないも同じ


足裏テーピングとコットン球による触覚補正を全員に伝え始めて2週間。


土曜日、Y田君の知人のテニスコーチであるM本さんが、八王子から参加。


素振りは確かに力強く、素人ではないスピードに満ち溢れている。しかし、見ていて爽快感はない。これを言いかえると、見るだけでこちらの身も整うような質の動きではない、ということだ。ということは、続けるほど疲労に化け、故障に近くなるということだ。


でも、ちょこっとグリップ補正や軸を立てる誘導や足裏のテーピング補正などを加えて自然体かつ統一体に近づいていくと、とんでもなく「恐ろしい」スイングになる。


やはり餅は餅屋である。


力みに頼っているとしか見えなかったM本さんでも、触覚中心への転換を誘導すると、いきなり「見ていて怖さを感じる鋭さ」のスイングになる。


筆者は、それを手助けすることができるのであるから、もちろん人からそれを引き出せる程度にはできている。ない袖は振れない。全身の統一度合いが相手よりも少し進んでいるから、「おいでおい」ができるのである。


しかし、身についているのは、その「統合する感覚」であって、テニスそのものではない。


だから、筆者が「統一度の高い状態」を自分自身で出したとしても、M本さんのレベルのスイングは出てこない。


前回の演劇研究会でもそうだったが、最初の演技では「ん?」というレベルでも、受信モードに切り替えたり、適切な銃身位置に補正したりすると、いきなり「おおおお!」になる。


やはり、その人が何年も積み重ねてきたものは、それなりに身体に身についているのである。動かし方の回路が、より「本質的なもの」にシフトチェンジできれば、今までの経験がいきなり高いパフーマンスになって出てくる。


経験は無駄ではないのだ。つまり表面には出てこないのだが、内側ではその「恐ろしいもの」があるのである。


しかし、今までどおりの取り組み方では、その経験が生かされるものとは出会わない。


みんなでせっせと近づいていきましょう!