1122話 社長のメンツを立てる

 

人が意識的な動作をしようとしするとき、実際の意識よりも身体は先に動きだし、0.5秒遅れで意識はその動きの意図を知り、しかし、それを「みずからが出した指令によったもの」という捏造の記憶を生み出す、という「ユーザーイリュージョン」のことは、ず〜っと頭に浮かび沈み見え隠れが続いている。


授業では「受講生ができないこと」が「できるように」と講習する。


もちろん、習いに来る方々だって「できないこと」が「できるようになったらいいなあ」と来るわけである。


「まだできないこと」なのであるから「できたときの感じ」というのは、その人の身体記憶にはない。

こちらは「できるだけできた時に近いニュアンスが理解できるように表現して、それを手がかりに『かつて体験していないもの』に迫れるようにしよう」と説明する。


すると、「それは、こういうことでしょう」


と、できていないくせに、自分の過去の体験に置き換えようとする人がいる。


違いますって。それは「できないあなたの体験」であって、今伝えようとしているのは「あなたがまだできないこと」なんだから、できてないあなたのストックにはない。


というようなことを前にも書いたと思う。書いてないかもしれないが、しょっちゅうそういう風に感じているので、書いたと錯覚しているのかもしれないが、そういう「歯がゆいなあ」がしょっちゅうある。


なぜなら、そういう対応する人はずえ〜ったい伸びないから。似て非なるものに慣れるだけ。もしくは、かつてできた別のものに置き換えてできたと勘違いしている。


というようなこともやっぱり書いた気がする。要するにできない人は、つねにこういうパターンだ、ということだろう。


「ユーザーイリュージョン」を折にふれずっと考えている。(ってこれも冒頭に書いたっけ)


要するに「意識」というのは「つじつまの合うストーリー」を好むのである。


常に主体は「私の意識」である。私の意識が社長である。社長の私が命令したことを、部下である身体がやって、うまくいった、ということ以外は認めたくないのである。


しかし、筆者はその社長が「馬鹿だ」ということを知っているので、なんとか社長を黙らせようとするのであり、現場で働く社員が働きやすいように、というので説明するのである。


しかし、聞く耳を持たない馬鹿社長は、かつて自分が出した(と勘違いしている)指令に、筆者の説明を当てはめようとするのである。すると筆者は、その受講生に冷たい視線を投げ、口をつぐむか「違う」と断定するのである。


と、人の心配をするよりも、筆者自身がよりまともになることを考えよう。


同じ現象は筆者の中でも起こっているのだから、筆者が否定したくなる受講生の態度は、そのまま筆者が日ごろ困っていることに他ならないのである。


ということは、馬鹿社長を納得させる手立てを考えればよい。もしくは「馬鹿社長が自分が主導権を持っていると勘違いするようなシチュエーションで、実は現場が現場の判断でベストの選択を実行している」という状況を作ればいいのである。


しかし、仕掛け人の筆者も馬鹿社長の筆者も同一人物なので、だますというわけにはいかない。


ということは、馬鹿社長の面子が立つようにする、という作戦しかない。


そこで、考えたストーリーはこうである。


社長である筆者の自我意識は、その明晰な頭脳と鑑識眼をもって、優秀な社員、もしくはその社員の優秀さを見抜き、抜擢し、丸ごとそのプロジェクトを任せた。一切の口出しはせず、すべては任せるようにしたのである。しかしながら、進行状況の状況は逐一報告させるようにした。しかし、その報告内容のすべては、ことごとく社長である私の「秘かに」意図したとおりの結果である。


この場合の「報告」というのが、感覚器からの情報である。動作に命令をせず、ただし、徹底的に今やっていることにまつわる感覚情報を捉えるのである。