1135話 客観

意識的に「やろう」とすることは、「ユーザーイリュージョン」で実を結ばない。


ゆえに、「指令する」ことよりも「今何をしているのか、感じることを主体にする」ということをメインにいろいろ試行錯誤している。


ところが、ここにも「ユーザーイリュージョン」が働いていた。


今自分が「こんなふうだ」と「登録」している自分は、ありのままにみてストレスにならない程度に脚色されているのだ。


自分の内面に目を向けても「ごまかしている」ので、自分の前に「リトル自分」を映写する作戦を試みている。


ここで「まだ頭でイメージを描いている人」は、その「映写した自分」を見ても平気である。脚色した状態なので「登録済み」の自分とギャップはない。


そこで、距離、形など「自分にとってリアリティのある実態」として感じるところまで二三手入れると、受講されるみなみなさま、脂汗をタラタラ状態になって目をそむけようとされる。


これは「ガマの油方式」トレーニングと名づける。


ごまかし登録している像ではなく、「ありのままに近い自分」を見るのは、「テープレコーダー」で自分の声を聞いた時に似ている。


「げええ、嫌っぁああ」


という反射を皆様覚えておられよう。


よく考えれば、自分以外はみなさま、その声を聞いておられ、またそのふるまいを逐一ご覧になっている。


違うと思っているのは自分だけである。


自分の実態とは違うものを自分として登録しているので、スタートラインがずれている。あらゆる稽古、トレーニングは上達しないのは当たり前であった。うまくいった部分は、「たまたま」であるとさえ感じる筆者である。


しかし、人間は便利である。


目の前に投影する自分像の「ここはどうかな?」と注視すると、みっともない自分を見たくないので、見ようとした瞬間に「今まで見たことのない、いい質の姿勢や構え」にするするするっとすり替えるのである。


ずるい。できるんやったら、今までにもやってくれたらよかったのに。




世の名人、達人の方々は、実態の認識のギャップが極めて少なかった方ではなかったかと思う。